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 06
 
 Aセッションがモールの四階に到着した時、黒服の集団と遭遇した。先頭にいたステイカーは条件反射で指先が動きかける――が、瞬時に照準器越しの相手を見分けるや銃口を下げた。
「ステイカーかよ」
 エコー4の毒づく声。集団はEセッションだった。
 かなり危ない場面だった。引き金にもう少し力を入れていたら、殺していたかもしれない。相手も筋肉を強ばらせて、彼の腹に銃を向けていた。
 Eセッションは通路をよたよた歩きながらステイカーたちの元へ合流する。
「無事か? 生きてるんだな?」
 レイ・ダウリングが隣で息を弾ませている。無理もない。彼らは最悪の場合を想定してここまで休まずやってきた。
「まったく、なんて日だ」と、レイ。それから負傷者に目をやり、「怪我を見せてみろ。手伝ってくれ」とAのチームメイトを呼んだ。
 ステイカーは残りの人間に警戒を当たらせて、餌食者を担いでいる男のところへ行き、床に下ろさせた。意識がない相手の瞼をこじあけて、眼球をマグライトで照らす。瞳孔の収縮反応はあるが過剰すぎない程度だ。つまり、獣のような目つきをしていないということだ。
「こいつは大丈夫だ。少なくとも、俺たちがここを出るまでの間は」
 それからステイカーは、ざっとメンバーを確認した。エコー4と他二人は無傷のようだ。残り負傷者を含めて三人。そのうち一人は自力で歩けるようだが、一人は担がれている。残りの一人はさっきまで餌食者を背負っていた。
 彼は眉根を寄せる。
 一人足りない。イ・ジュンスはどこに行った?
「ステイカー」エコー4が近寄ってくる。沈痛な声音だった。「ジュンスを見失った。おそらく化け物に追われて、その後は行方知れずだ。化け物ってのは、なんと言えばいいか俺もよくわからない、一瞬だけ見えたんだ。とにかくデカくて、でたらめなやつで」
 見たものを信じられないのだろう、エコー4はしどろもどろな説明をする。彼を落ち着かせるために、ステイカーは二度軽くうなずいた。
「そいつが地下で育つのを見た。詳しくは後で話す。何があった?」
「突然、餌食者が一人錯乱して走っていった。それをジュンスは追いかけた。止めたんだ、でも遅かった」
 エコー4が指で示した方角をライトで照らす。
「で、()()()か」とステイカーは呟いた。
 吹き抜けを挟んで反対側にある通路が崩壊していた。あの瓦礫によってジュンスとEセッションは分断されたのだろう。下に目をやると、三階の吹き抜け側も一部崩れている。
「――足場にしたんだ。崩れ方が大きいのが気になるな。さらに成長したか?」
 そう言ったのはレイ・ダウリングだった。簡易な手当ては他の者に引き継がせて様子を見に来た。下をのぞき込んだレイは、顔を前方に向ける。
「その後あの穴から出て行った」
「そうらしい」
 ステイカーはレイの検分に同意する。破壊の痕跡が至る所にあったがひと際目立つものがあった。彼らの視線の先では、外向きに仮設置していた合板の壁に不自然な大穴が開いていた。そこから月明かりがさしこみ、秋風が破れた防塵シートをなびかせている。
「無線機は使えるか?」と、ステイカー。
「いや。電源は入るが、全員どことも繋がらない。ハントがHQと通信不能だと俺たちに寄越して以来それきりだ。そっちはどうなってる?」
「全く駄目だ。完全に機械の方が故障してる」とレイ。
「EAPも駄目か?」
 ステイカーの問いかけにエコー4は、そうだと言った。だが、
「おい、一体何がどうなってる――こんなことは聞いてないぞ」
 エコー4はステイカーに詰め寄ってきた。
「ジュンスは? あいつはどうするんだ? あいつは死んじまったのか?」
 やり場のない怒りを見せ始めるエコー4を、ダウリングが間に入って押し留めた。
「待て、落ち着け。予測できるやつなんて誰もいない。俺たちは、状況に対応するんだ」
 ダウリングの黒い目がエコー4をまっすぐ見捉えて言う。
「周りをよく見ろ」
 エコー4はそれにひるんだようだった。レイに言われた通り、視線をめぐらす。顔が腫れているステイカーの顔を見て、床で手当を受けながら彼らを見守っているチームメイトに目をやり、崩れているモールも視界に入れた。エコー4は「わかった」と小さく頷く。高ぶる気を静めるために息を吐きだす。「これからどうする」
 ステイカーはエコー4に言う。
「ジュンスを探しに行く」
「…あの化け物は?」エコー4は信じられないような様子で聞いてくる。ステイカーは静かに答えた。
「俺のチームから二人、外に使いを出した。どういう理屈かはわからないが、あれは肉体の変異の度に環境に影響を及ぼすらしい。だがそれがモールの外まで続くとは思えないし、ここは街中だから、だいたい十五分もあれば本部のシスと連絡がつくはずだ。その間に俺たちはジュンスを回収してここを出る。脱出予定時刻まで」時計を見る「残り二十一分。これを過ぎれば、俺たちも大変な目に遭う」
「政府が用意したクソ爆弾だよ」とレイ。「AIが操縦する試作の無人機(ドローン)がこっちにぶっとんで来る。いいか、俺が水面下で聞いた情報じゃそのプログラムは実戦で使われたことが一度もない。しかも人間たちの安全を第一に優先するような代物じゃない。あとはどうなるかわかるよな?」
「まとめて吹き飛ばす気なのか?」エコー4は愕然とする。
「それは最後まで居残っていたらの話だ」ステイカーは言う。「聞け、チームを分けなおす。エコー4(お前)アルファ(俺たち)と一緒に来い。エコー7、お前は歩けるな。この作戦の間はレイとくっついて二度と離れるな。残りのやつは負傷者を連れて出ていく。……」
 ステイカーは淡々と指示を続けた。自分でも不思議だが、こういう時になるとやけに頭が冴えてくる。全員で助けに行きたいのはやまやまだった。負傷者が出ている以上それは諦めなければならない。
 手早く装備を整えていると、突然銃声が聞こえた。二度、三度と続く。サプレッサーをつけた独特の音なので誰のものなのかはすぐにわかった。
「今のはハントだ」
 レイ・ダウリングが急いで大穴の元まで行き、そこから反対側の棟を見上げた。でこぼこした黒いシルエットに向けて、肩のライトを付けたり消したりしながら信号を送る。
 遠い暗闇の中から明滅が返ってきた。
 レイの後を追いかけたステイカーは、彼と一緒にその光を見た。返答は、「否」だ。ウィリアム・ハントは撤退を拒否した。その直後、獣の叫びが闇夜にこだまする。そして銃声。明かりはこうも言っていた――”屋上、E1“。
「この上にエコー1(ジュンス)がいる」ステイカーは確信した。ハントはジュンスを掩護しているため持ち場を離れられないのだ。彼はたちまち気力が回復してくるのがわかった。正直に言うと、彼もジュンスの生存に関してはあまり自信が持てなかった。
「やっちまおうじゃないか」とアルファ3が言う。「”我々は岸辺で戦う“」
 我々は屈しない――その通りだ。
 エコー4を含めたセッションAの全員に真っ只中に飛び込む決心がついた。
 モールス信号を送り続けているレイが、
「先に行ってくれ。チーフには俺が指示を出す」
 Eの負傷した者たちは、すでにこのフロアから出て行った。レイとエコー7はGを回収して脱出する。残りはエコー1。ハントもぎりぎりまで支援するつもりでいる。
「よし、急ぐぞ」
 その場を離れようとした時、「おい」とレイが声をかけてきた。彼はじっとステイカーを見て、「戻って来いよ、兄弟」と言う。
 光栄だった。レイ・ダウリングのような人間たちにとって、兄弟という言葉には特別な意味がある。ステイカーはレイに頷いた。
 上階を目指すため、彼はチームを引き連れる。危険を伴うが一番迅速な方法を取ることにした。この穴から出ていき、怪物を追いかけるのだ。
 モールの外壁に沿って足場が組まれているが、怪物が飛び出したせいで足場は一部破壊されている。幸いにも穴の真下にある足場は無事だ。しっかりと立っており、今すぐ崩れる気配はない。
 ステイカーが先に降り立つと、秋風がびゅうと身体を叩いてきた。千切れた何かのテープが顔をかすめて暗闇に呑まれていく。風が不規則に乱れていた。
 俺はこういうのは好きじゃないなと、ステイカーはひっそりと向き不向きを認める。今のように危ない橋を渡ることではない。狙撃の話である。風が弾道に与える影響、絶えず動き回るターゲット――その上ガラスを一枚挟めば難易度は格段にあがる。狙撃技能を磨くことは面白いがステイカーにとってそれまでのものだ。しかも高度な電子機器が故障している現在、ハントを補助するものは目視と彼の脳みそだけという可能性がある。相手が巨大な怪物であればハントなら当てることは難しくないだろうが。
 金属が不穏な音を立て、軋んでいた。しかし、彼を含めた四人が一人ずつ通行する分には問題がなさそうだった。当の怪物はジュンスに夢中になっているし、突然こちらに戻ってきて足場ごと引き裂かれることもなさそうだ。
 エコー4がステイカーの指示に従い、足場に降り立つ。その後はアルファの二名が続いた。上層から斜めに崩れて通路を塞いでいる床板を避けつつ、チームは前進する。下を見ればなかなかの高さがあり、通路は狭く、身体は何度も風にあおられる。落ちればひとたまりもなかった。
 銃声と何かの爆発と、獣の叫びが響いている。
 そのまま騒ぎ続けろ、と彼は祈るような心地で足を進めた。そこで何が起こっているのかわからないが、騒々しさこそが、ジュンスが生きている何よりの証拠である。
 アルミ階段をひとつ上った時、――ある程度想定していたが――彼はダンピールと遭遇した。相手は足場の裏側から素早く乗り越え、こちらを睨みつけている。地獄の業火を両目に宿し、憎悪で彼を貫いた。
 同化か、死か?――同化か、死か?――囁きが耳朶に触れる。
 それ以上を許すはずもなかった。スパイク弾を眉間に撃ち込まれたダンピールは、勢いよく足場から転落していった。
「もっと急げ! やつらが下から追ってきてる」
 ステイカーの背後でも弾を浴びせる音がする。逃走時間まで考慮すると、まともに相手をしている余裕はない。四人はがたがたと足場を踏み鳴らしながら、一まとまりになって先を急いだ。可能な限り走り続け、最後の階段を上りきる。
 そうして彼らの視界に飛び込んできたもの――戸惑いの感情がチームに走ったのがステイカーにはわかった。改めて見ても馬鹿げているように思える。”あのデカブツは一体なんだってんだ?“ 文句を言う暇があれば誰かがそう口にしていたはずだ。
 巨大で、犬みたいな頭をした醜悪な怪物が、耳障りな叫び声とともに屋上で暴れている。身体が肥大してバランスが不均衡になったため、なかば自分自身を引きずるようにして何かを追っていた。
 ジュンスだ。小さな建物の陰に隠れていたところ、獣の腕にその場所ごと叩き潰されそうになっていた。彼は隠れ場所から転がり出て、必死の形相で逃げている。邪魔だったのだろう、ジュンスはガスマスクを取っていた。ハントの狙撃の甲斐もあって、彼は攻撃を回避しているが、命の猶予が残されていないように見えた。ハントの弾丸は怪物の腕にめり込んでいたが、脅威とは程遠い。
 ジュンスを回収しようにも彼らは距離が離れすぎていた。残り時間もわずかだ。
 怪物に接近するより他にない。だがその前にやることがあった。
 ステイカーはチームを連れて騒動の元へと駆けつける。恐れ、引き返す者はいなかった。彼らはタワークレーンのふもとで二つに分かれた。Aの二人には持ち場についてもらい、ステイカーはエコー4とともに前に進んだ。近づけば近づくほど怪物の大きさが気になってくる。
 充分な射程圏内に入った。ステイカーは足を止め、擲弾発射器の狙いをつけた。レイから借り受けた装着(アドオン)式のものだ。グレネードは軽い音を立てて放物線を描き、怪物の胸元に着弾した。火薬と銀の粒子が炸裂し、前方で轟音が響く。それにけたたましい悲鳴。
「ジュンス!」
 エコー4の大声によってか、爆発によってか、ジュンスは顔を上げて彼らに気付いた。眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開き、凝視している。その間もステイカーは流れるような動作で次弾を装填し、破壊威力を期待して同じ場所を狙い撃った。しかし、目を疑うようなことが起こる。弾が怪物の長い腕にはじかれ、まったく別の場所で爆発していた。
 これは――よくないな。ステイカーは背中に一筋、冷たい汗が流れるのを感じた。最初の一発で動きを止めてもよさそうなものを……。彼がしたことといえば、相手に少々の火傷と出血を施しただけのようだった。生憎とこれ以上の火力は持ち合わせていない。
「ジュンス、逃げるぞ!」
 エコー4は叫びながら、自分の小銃でスパイク弾を怪物に撃ち込んでいる。彼らの針を刺すような攻撃でも、相手の気をそらすぐらいには効果があった。口が貝のように平たくなった犬の頭をこちらにめぐらす。
 ジュンスは立ち上がる。その動作が弱弱しい――重症の一歩手前なのかもしれない。頭から血を流しているし、どこかしら体の骨が折れている可能性がある。
 ステイカーは最後の一発を装填し、敵の顔面を狙う。弾の飛ぶ癖は初弾で理解したので、当てる自信はあった。目標点よりやや斜め上に照準を合わせ、引き金を絞る。エコー4の援護があったおかげだ。グレネード弾は誰にも邪魔されることなく、怪物の左目に突き刺さった。
「走れ、走れ、走れ!」
 ステイカーも声を張り上げ、発破をかけた。続けざまに銃を連射する。怪物は長い体を折って白い髪を振り乱し、悶え苦しんでいた。
 ジュンスは怪物の左側にいる。相手の眼窩が落ち窪んでいるとはいえ、視覚に頼っているのだ。それは最初に対峙したときに気づいたことだ。怪物は確実にジュンスの姿を見失った。
 時間の進み方がもどかしく感じる。ジュンスは残る力を振り絞りステイカーたちの所へ近づいている。いつもの素早さはない。本人は走っているつもりなのだろう。身体が上下に激しく揺れているのに距離は縮まらない。
 ステイカーは背後に視線をやる。アルファ二人に任せたタワークレーンの爆弾の設置は最終段階に入っていた。しかし、現在交戦中だ。何体ものDP(ダンピール)が猛然と襲いかかってきている。そのため爆弾係は作業を中断して、身を守ることに集中しなければならなかった。
 このままもたもたしていては全員が死体になりかねない――決断すべき時だ。
「お前は二人と合流しろ。潮時になったら、何もかもを置いて三人で逃げ出せ」
 ステイカーはエコー4にそう言って、ジュンスに向かって走りだした。
「おい!?――くそっ!」エコー4は標的を変えた。屋上の縁から敵が姿を現したのだ。エコー4が撃ちながら後退していく。
 途中、DPが一体、通せんぼをするように横から滑り込んでくる。ステイカーはそれを正確に射殺し、さらに走りこむ。また一体邪魔をしてくる。
 空から観察すことができるのなら、ダンピールたちは砂糖に群がる蟻のように見えただろう。屋上は四方から攻められている。作戦直前に自分で言った言葉が蘇ってきた。”Dの集団が一直線に来る。やつらは絶対に止まらない。”
 実際はもっと酷かった。事態が一旦悪い方向に転がると、予想ができなくなるものだ。DPの集団などかわいく思えるぐらいに。
 怪物は激しい痛みに身をよじり、長い腕をでたらめに振り回し、身体に火がついた兎のように飛び跳ねている。よもやそいつが頭から二基目のタワークレーンの支柱に突っ込んでいくとは思いもしなかった。
 支柱の鉄骨が変形し、自重を保てなくなる。
 なんてこった。
 彼は走りながらクレーンを見た。こっちに落ちてくる。
 苦しい状況を理解したが、ステイカーは足を止めるどころか、さらに速度を上げてジュンスのところまで追いつこうとした。チャンスはほとんど残されていない。だがここで背を向ければ、万に一つの可能性は完全に0になる。
 めきめきと金属が折れて、クレーンの腕(ジグ)が傾ぐ。その時、ジュンスと目が合った。相手の黒い目に言いようのない感情が走るのが見えた。
 ――数秒後、すさまじい音がして建物が揺れた。鉄骨は巨人が腕をたたむように落ちてきて、屋上の縁を壊し、建物の屋根を圧し潰す。その進路上にいたジュンスには逃れるすべがなかった。
 直前にステイカーが飛び込まなければ即死していた。
 ジュンスの腕を掴んで前に引きずり倒し、一緒に地面に伏せる。周囲一帯が金属スクラップ場だった。飛び散った小さな金属片がステイカーの顔に刺さる。激烈に痛んだ。だが、痛覚があるのは良い兆候だ。少なくともまだ生きている。
 埃に咳込みつつ、ステイカーは息を切らして言う。
「ほら、捕まえたぞ……」
 ジュンスも生きていた。顔中が血と泥と埃まみれにして、ぜいぜいと空気にあえいでいた。だが最悪なことに、彼の身体は鉄骨の下だ。くそ、とステイカーは罵った。
 ジグは大きくたわんで、屋根や機材に圧し掛かっている。ジュンスは鉄骨のたわみと地面の間に挟まれていた。金属が軋む耳障りな音がする。まだ落ちてくるつもりだ。ステイカーは手斧を抜いてつっかえ棒のように隙間にねじ込んだ。〈アダムの骨〉技術開発部が作った最新武器がどれほど加重に耐えられるかは不明だが、無いよりはいい。彼は地面を這って、ジュンスの腕を引っ張る。
「身体を動かせ、こっちに来い」そう言いながらも、無駄なことだとはわかっていた。ジュンスの足は完全に鉄骨に巻き込まれている。骨や神経が無事かもわからない。
 ジュンスは朦朧とこちらを見ていたが、突然、さっとハンドガンを取り出して二度撃った。ステイカーの背後でDPが喚いて死んでいた。
 そこで彼は力尽きたのか、ばたりと腕を落とす。
「駄目です、足が動ない」ジュンスは息も絶え絶えだった。「もういいんです――あなた方は、充分に戦った――」
 彼は意識を失いかけている。
「めそめそするな。他に言うことがあるだろ」
 ステイカーは鉄骨が持ち上がらないか散々試したが、びくともしなかった。隙間に噛ませた手斧もしっかり立っている。1ミリも動いていないということだ。
 壊れたタワークレーン相手に悪戦苦闘するステイカーの隣で、DPがまた一体倒れる。ジュンスではなかった。狙撃だ。ハントも持ち場でねばっている。
 彼は腕時計に目を落とした。もう十分も残されていない。
 今度は一基目のタワークレーンの所で爆発が起こった。Aの二人とエコー4だ。三人はクレーンを犠牲にして()()()に走ってくる。背後から襲ってくるDPの数に押された格好だ。支柱は倒れ、DPがいくつかまとめて潰された。
 本当ならジュンスを回収した後に、一基目の方をAが破壊して逃げ道を作るはずだった。全てが台無しだ。五人全員が屋上に取り残された。
 なお悪いことに、差し迫る問題はそれだけではない。
 月明かりに黒々とした塊が浮かんでいる。犬顔の怪物は奇声を上げて、ステイカー達の元へ突進し、跳ね回り、たわんだジグに飛び乗った。
 同時にジュンスが悲鳴を上げる。聞いたことのない彼の絶叫に胃が冷えた。ジュンスは鉄骨の下で痛みにのたうちまわり、地面をかきむしっていた。重量に耐えられなくなった手斧がひしゃげ始めている。
 怪物となったバックウェルは、高い位置を陣取って彼らを見下ろしていた。風に白髪が乱れ、肌の表面を流れる血が不気味に輝いている。蜘蛛のような長い手足、突き出た腹部――歯がばらばらに生えている醜いあぎとから、冷気がたなびいている。
 “同化か、死か?”
 次は俺の番か。ステイカーは銃把を握った。怪物の窪んだ眼窩の奥で、赤い光が見えたのだ。それにジュンスはもう逃げられないので追う必要がない。
 いいだろう、と彼は思う。どうせ最初に撃ち殺したのは他でもない、この俺だ。
「マスクしてろ」
 苦悶にうめくジュンスに、無理やりガスマスクをつけさせる。
 ステイカーはじりじりとジュンスから距離を取って、敵に照準を合わせた。打つ手はないが、弾ならある。最後の一発まで撃ち込んでやるつもりだった。
 バックウェルは黒い塊となって飛びかかってくる。彼は引き金を絞ってありったけの弾をくれてやった。相手の首の付け根から腹のあたりまで無数のピンが食らいついたが、全く怯んでいない。こいつは痛みってものを知らないのか?
 彼はぎりぎりのところで横に大きく飛んで避けたものの、数秒前に立っていた場所のコンクリート面が大きくへこんでいる。当たっていたら、ただの怪我ではすまされない。
 ステイカーはスモークのピンを抜き、バックウェルに向かって投げた。あたりにガスがまき散らされ、例によって狂った叫びがする。距離が近いので余計にけたたましく感じた。バックウェルの姿は煙の中にまぎれる。
 その間に移動を続け、ついでに空になった弾を再装填した。彼は咳き込む。当然ながら銀煙は人体にも悪影響がある。粒子となった金属が肺に入りこむのだ。彼のガスマスクは破損したので、ステイカーは生身のまま煙の中にいた。きっと後になって悩まされるのだろうが、どうでもいい、構うものか。今死ぬよりも後で死んだ方がずっといい。
 コッキングレバーを引いて弾を送る。さらに撃ち続けた。――が、その時、長い腕が煙を引き裂いて彼に襲い掛かってくる。銃が叩き潰されていた。彼は咄嗟に武器から手を離したが、勢いまでは殺せない。巨大な手に殴られる形でぶっ倒れている。肩から地面に衝突し、強く打ちつけたものの、どうにか受け身を取った。
 自分の身体を見る。前面の装備はずたずただ。上半身のアーマーは引き裂かれ、皮膚に張り付いた特殊スーツが露出している。
 ステイカーは膝を折ったまま怪物を見上げた――怪物の肩のあたりで何かが盛り上がりっているのが目に入る。煙の中に浮かぶ黒いシルエットなのではっきりしないが、それがただただ醜悪な肉の塊であることはわかった。彼はふと気づく。バックウェルの肉体は状況に適応しているに違いない。変異はそのためだ。身体を強化して脅威を一つずつ取り除いていく。銀の煙も、スパイク弾も、効きはしないのだ。もしかしたら爆薬のたぐいまでも――
 “同化か、死か?”
 煙を押しのけ、怪物がにじり寄ってくる。姿が揺らいでいるように見えた。闇からの無限の囁きが、耳朶になじんでくる。
 “同化か、死か?”
 ステイカーはゆっくりと起き上がった。頭から流れた血が目に入ってきている。呼吸がしづらく、目がかすむ。肩で息をしながらバックウェルを見据える。左手で銀の杭を握り、ハンドガンを構えた。その時、手首からロザリオの数珠がこぼれ、十字架が揺れていた。
 怪物はもう目の前だった。そして相手は囁く――“同化か、死か?”、と。
「うるさい」ステイカーは獰猛に吐き捨てた。「お前が死ね」
 ダンピールと同化などするものか。
 バックウェルが血走った勢いで襲いかかってくる。どんなに強がっても、彼に逃げ場はなかった。
 ――彼方から空気を切り裂く音が飛来する。
 最初は耳鳴りかと思った。次に考えたのは、ヘリの回転(ブレード)が近付いているのか、ということだった。
 一刹那、それは起こった。閃光の速さだった。目にもとまらぬ輝きが大回転しながらぶっ飛んできて、直撃したのだ。轟音が響きわたる。地面が飛び上がるように揺れた。
 ステイカーは目をみはった。
 反った(ブレード)が怪物の巨大な手の甲に突き刺さっている。怪物の喉から絶叫がほとばしり、あたりでは無数の蝙蝠が弾けて飛び交った。
 彼は相手の顔を認めるや、アドレナリンが駆け巡るのを感じた。
 月の光に女の姿がくっきりと浮かんでいる。夜鳥が降り立つように腕を広げ、日本刀の柄頭に着地していた。真っ赤なバトルスーツ、黒い髪、後ろ裾がドレープになったハーフコート。
 彼女は刀の上ですらりと立ち、二メートル先でくずおれている怪物を冷ややかに見下ろす。
「こんばんは、ダンピール」
 聖域だ。大きなガーゼと包帯で顔の半分を隠し、左袖に厚みがないが、彼女のことは間違えようもない。
 吸血鬼サンクチュアリが、死から蘇ったのだ。
 バックウェルは彼女を払い退けようと反対の腕を振りかぶった。しかし意味を成す動作ではない。吸血鬼はその場で飛び、宙で見事な一回転をして怪物の腕をかわしていた。愛刀を巻き込んで浮き上がったため、その刀身が天と地の間で白く輝いた。サンクチュアリが地面に降り、右手を上げると、刀はくるくると落ちながらあやまたず彼女の手の中におさまる。
 巨大な獣は吠え、恐るべき速度で後退していった。
「目が覚めたのか、()()()」ステイカーは目元の血を拭って、彼女に言った。
 サンクチュアリは包帯顔を彼に向け、無事な方の青い目をつぶってみせた。
「実をいうとね、ジャック」涼しげな口調で前を向き、「私はずっと起きていたの」
 耳を疑うような台詞を言った後、サンクチュアリはバックウェルに向き直った。喉の奥で軽く息をつく。しげしげといった感じだ。
「見ない顔ね」と、サンク。「どこの血族? そんなに醜くては、祖先の顔を思い出すのも一苦労……」
 吸血鬼は悠然とした足取りで相手に近付いている。右手の刀を遊ぶように揺らし、
「バーン・ディアッカの遠い末裔? 大樹の洞の麗し族? 思いつく同族はこれくらい」
 そこで彼女は足を止める。ぞっとするほど青い目がバックウェルをひたと見つめた。
「まあ、でも――どうでもいいわね。あなたここで永遠に死ぬのだし」
 その声は氷のように冷たく、しかし憐むような優しい響きがあった。

 

 


【2019/12/19 更新】

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