縦横切り替え

 04
 
〈――おい、やつらどこに行く気だ〉
 レイ・ダウリングが照準器を覗き込んだまま訝しんだ。声は射撃の高揚感をふんだんに含んでいるが、ダウリングのトリガを引く指は止まっている。彼だけではない。血の海の中、チーム全体が動きを止めている。当然、ステイカーも驚いていた。ガスマスクを剥ぎ取れば全員似たような表情をしていただろう。
 というのも、地下二階から傾斜路を下ってきていたダンピール達が、突然方向を変えて駆け出したのだ。
〈俺たちを無視したぞ〉と、ダウリング。〈それとも、逃げ出したか?〉
 数秒前まで殺意の塊になっていた怪物たちが、夢から覚めたようにチームから遠ざかっていく。行き先は東側だ。
〈どうする〉
「追いかけるしかない」
閃いた(スパークした)んじゃ?〉
 かもしれない――何か、流れが変わる気配がした。ダンピールたちの意識が電光石火の勢いで集団伝播した可能性がある。
 しかし、ステイカーは確証が持てないでいた。怪物どもの思いつきなど簡単に読み取れるはずもない。サンクチュアリじゃあるまいし……。そこで彼は半壊した吸血鬼の顔を思い出し、気分が暗くなるのを自覚した。思考を無理矢理に追い出す。
「DPが四体もイーラ・バックウェルが逃げた先に走っていった。関係があるはずだ。レイ、俺と来い。アルファ3は援護だ」
 ダウリングたちが銃を構えたまま、ヘルレイザーよろしくの針山死体のそばを通り過ぎて、素早く近寄ってくる。周囲は交戦後の戦場というより虐殺現場だった。天井から血が滴り、肉の塊がスープの具材のように黒い液体に浸っている。ステイカーは残りのチームに指示を出してダンピールを追跡した。
 正体不明の女についてミナ・リュードベリが集めた情報は次の通りだった。
 名前はイーラ・バックウェル。アメリカ人。出身はアラバマ。同州の大学を卒業後、東海岸の親戚が経営するコンサル会社に就職。両親は健在でアラバマ在住。婚歴なし。逮捕歴なし。SNSアカウントは複数所持しているが休眠状態。年収は平均的。いたって極普通の善良な市民。通信ログをあたったが、たわいもないメッセージばかりで不審な部分が見つからないという。漂白されたように真っ白だ。何故そんなやつがわざわざパーソナルデータをモザイク状に書き換えているのか。しかも、この場所はアラバマからも東海岸からも遠く離れているため、一体何をしに来たんだ、という話になる。近辺に親戚や友人は住んでいない。
 東側の通用口まで来た。金属製の扉は無くなっている。ダンピールたちが破壊して中に押し入ったようだ。ステイカー達は入り口近くの壁に身体を押し付け、数秒待った。物音がする。壁越しに標的を見ようとしたがEAPは反応していない。状況から考えて、地下における索敵システムの有効範囲は十五メートルから二十メートル以内だ。この先にいるには違いないが、範囲外である。
 全員の準備が整った頃合いに、ステイカーは指を三本立てた。二本、一本と減らしてカウントする――一気に踏み込んだ。
 通路はポランスキーの言う通り一本道だ。投光器が間隔を空けて備え付けられていたのでシステムに頼らずとも敵の姿は目視できた。奥の扉前に二体、中に入ろうと試行錯誤している。 ダンピールがこちらに気付くのと、EAPが検知するのは同時だった。標的が赤く発光する。
 二体は目をかっと見開き、悪夢のような形相で引き返してくる。即座にステイカーとダウリングの両名がそれぞれ左右の敵に弾を浴びせた。左で床を這っていた方は”ピン”されたが、右にいた一回り大きな怪物はタフだった――身体に釘を貫通させても突進をやめない。腕を振り回しながらなおも走ってくる。敬服に値するやつだ。
『Aセッション。ポランスキーよ。Aセッション、聞こえてる?』
 環境の影響か音声がざらついていた。それに覆い被さるようにダンピールが狂気的な叫び声をあげている。敵の距離は一〇メートル。ダウリングの方に向かっている。あと数秒もすれば彼の元にたどり着き、身の丈一八〇を越えた人間をいとも簡単に引き裂く。
 ステイカーは狙い定めて引き金を絞った。人並みはずれた集中力で放たれたスパイク弾は白い腕を壁に張り付けた。二発と一発が左の上腕にそれぞれ食い込んでいる。絶対に抜けない深さだ。直後に四発の銃声が轟いた。
『状況はわかってる。J、私の言うことを聞いて。Eセッションが解放した餌食者のことだけど、奇妙なことを言っていたわ――』
 レイ・ダウリングが至近距離で五〇口径銃を発砲した。タフの証拠である胸の厚みなど関係がなかった。全弾、心臓を撃ち抜いた。ダンピールはがっくりと膝を折って前のめりに倒れる。ステイカーはすかさず近寄り、その青白い背中を蹴りつけた。床にへばりつかせて頭部にスパイク弾を撃ち込む。死体は一度痙攣を起こし、そして息絶えた。
 無線ではポランスキーがなおも続けている。前方で苦痛にうめく声がする。
『――餌食者が言うには、イーラ・バックウェルに騙されて連れてこられたというの。それでバックウェルの方じゃなくて、その餌食者の方を調べてみたら、八日前の監視カメラ記録に彼女の痕跡があった。餌食者と食事をしているところだった。もちろん、バックウェルの顔は映っていなかったわ。グラスの反射面を除いてね。なんの変哲もないカップルのようだったけど、二人に共通点はなかった。つまり、出会って間もないということよ。その店の名前はジャルグ・キッチン。グループレストランの一つのようね』
 瀕死のダンピールにゆっくり接近し、ステイカーはとどめをさした。しかし、彼の意識はもはや目の前の死体にはなかった。
 ジャルグ(赤の)・キッチンだって?
『念のため映像を送っておく。見る暇があるといいのだけど』
 疑惑のさなか、小銃の側面を二度叩き、了解の旨を送信する。そこにMAR上の仮想のキーが表示されているのだ。当然、キーは任意の場所に置くことができる。続けて、ステイカーは素早く打ち出す。
 ――”無声通信。A5、EV前で警戒”
 ――”A5、了解”
 モールス信号のようなものだった。それは直ちに共通言語に変換されて全員に共有される。
 ステイカー、ダウリング、アルファ3は足音一つたてずに前進した。通路は途中で左に折れているが、先に道はなく真っ暗だ。エレベーターは未設置だった。
 通路の最奥にたどり着いた。扉の左にダウリング、右側にステイカーとアルファ3が張り付く。
 ――”A5、到着”
 小銃を二度叩いた。
 彼らのいる場所からは残りの敵の姿がもう見えている。数は二体。逃げてきた残りの連中だ。EAPが表示した輪郭から判断すると、どうも扉側に背中を向けているらしい。動線予測は彼らの方を向いておらず、二体は青い反応を示している人物を取り囲むような状態だ。ダンピールはバックウェルに用がある。
 扉越しからでは言葉まではわからないが、言い争っているような声が聞こえた。
 ステイカーはポランスキーから送信された五秒ほどの映像を見た。店内映像とグラスの拡大映像だ。確かに、カメラに背中を向けた女の顔が手元のグラスに湾曲して写り込んでいる。金髪で、眉毛が黒く、目尻に黒いほくろがある。ミナ・リュードベリが送ってきた顔写真と同一だ。だが彼はバックウェルの顔よりも店の様子のほうがはるかに気になった。白っぽい壁に掛けられている、編み紐模様の複雑なアートパネル。ステイカーは心の中で悪態をついた。なんだと、俺はこの店を知っている。
 高速で小銃の側面を叩く。――”アルファ1より本部へ。店は〈R2〉の拉致現場だ”
『ポランスキーよ。何故わかるの?』
 今ここで全てを説明するのは難しい。だが彼女も不確かな情報では身動きが取れない立場である。可能な限り伝えようと信号を打ち出した。
 ――”過去、系列店で〈R2〉と接触”
『拉致される側として?』
 二度叩く。
『わかった。保健福祉省のチームに念入りに調査するようきつく言っておく。それと、その女からよく(・・)話を聞きたいわね。出来れば、だけど』
 ポランスキーの声が遠くで聞こえるような気がした。()()()()()()()()()というのが自分たちにとって何を意味するか考えるよりも、過去の映像が断片的に蘇る。編み紐模様の巨大なパネルの前で魅惑的に微笑んでいる女の顔。森の中で血まみれのまま地面を掻きむしっている女の顔――ふた首の怪物。
 今それを思い出すのは自殺行為だった。
 扉の前に到着して一分は過ぎている。ただちに片を付ける必要がある。ステイカーはフラッシュバンを取り出し、ピンに指をかける。しかし、それはアルファ3に強烈に腕を掴まれたせいで、引くことも投げることができなかった。
 静止させられた理由は明らかだ。室内のEAP反応が狂乱状態だった。赤と青の線が膨れ、からまった糸のようにぐちゃぐちゃになっている。
「――行け!」
 叫び、全力で扉を蹴破る。
 視界が赤と青の線で乱れている。元から透明度の高い色なので、敵の姿を見失うことはなかった。左に一体、頭部に向け正確無比に撃ち込む。右の敵はダウリングが間違いなく始末した。そしてアルファ3が倒れた敵の心臓を狙い撃って確実に止めを刺している。ステイカーはイーラ・バックウェルに銃口を向ける。照準器を挟んで、恐怖と驚きで目を見開いている女が視界に飛び込んだ。自分の荒れた呼吸音がガスマスクの中で跳ね返り、耳元で聞こえる。
 振り乱した金髪、
 歪んだ顔、
 濡れた目元。
 女の顔と重なる。編み紐模様の前で微笑んでいる――
「待って、お願い、私は」
 哀願は金属を叩き折る音で遮られた。スパイク弾がバックウェルの口内を貫いていた。ステイカーはすぐさま側に駆け寄り、胸部に向けて三発撃ち込む。バックウェルの身体が小さく跳ね、跳ねた態勢のまま釘で打ち止められ、固まった。
 数秒、誰も動かなかった。
 視界は元に戻っている。EAPの反応はもうどこにもない。
 ステイカーは肩で息をしてバックウェルの死体を見下ろした。口の中に釘を撃たれたバックウェルは、目と口をこれでもかと開き、天井を凝視している。
「ぎりぎりだった」と、レイ・ダウリングが言う。彼はアルファ3と共に周囲を警戒しながらバックウェルをちらっと見て、ゆっくりかぶりをふった。これじゃ話を聞くのは無理だな、と。
 彼は死体を見下ろすステイカーの背中を叩いて、ポランスキーに無線報告しようとした。
 が、
「いや、駄目だ」
 バックウェルから視線を外さず、凝然としていたステイカーが呟く。ガスマスクの中で嫌な汗が吹き出ていた。囁きがざわざわと耳朶に触れる。ダウリングの振り向く気配がしたが、そちらには目をやることはできなかった。
「遅かった」
 突如、室内の温度が急激に下がった。冷凍庫に放り込まれたかのようだ。全身が総毛立ち、芯から凍えそうになる。マスクのレンズに霜が張り付き始めていた。
 アルファ3とダウリングがさっと顔を見合わせる。冗談だろ、とダウリングが慄いた。
 全員その場から一歩後退った。これから何が起こるか想像もできなかった。
 敵検知システムが再度バックウェルの身体を捕捉する――頭頂からつま先まで完全(まったき)紫色に染めあげた。だが、それが確認できたのは一瞬だけだ。その後EAPはシステムダウンした。
 バックウェルの腹部がぐっと盛り上がる。彼らが何か行動を起こす前に、変化は瞬く間に過ぎていった。
 釘を叩き込んだ口が大きくせり出し、獣のように尖っていく。骨の異常増殖を高速で見ているようだった。あまりに前方に突出しすぎたため、口は内部から破裂したような形になっている。一方、身体中の骨がバキバキと折れ曲がり、折れた箇所から長さを伸ばして身体がみるみると膨張していく。頭髪以外の体毛は抜け落ち、汚れた白髪が長くケープのように絡まった。尖った背骨、異様に長い四肢、鋭い爪、振り乱した長髪、風船のように膨れた腹部――
 時間にしてわずか数秒の出来事だった。
 空気が漏れるような甲高い音を口から出し、バックウェルだったものが起き上がる。その間も変化は絶えず続いていたため、完全に身を起こした時は、こちらが見上げるほど巨大になっていた。
 白髪の下にある空洞の眼窩が、先頭のステイカーを捉える――
 今夜、彼は初めて恐怖を感じた。逃げられない。その怪物の腕は長く、身体が大きすぎた。
 瞬間的に状況を悟ったステイカーは即座に身体を丸めて防御の姿勢を取るしかなかった。先に衝撃が来たのは肩だ――完治したばかりの――後は何が起こったかわからない。自分が玩具のように乱暴に扱われ、振り回されている感覚があった。視界に強烈な閃光が走る。目眩いに引きずられて意識が遠退いていく。
 どこからか声が聞こえた。
 ――バーの料理人なんて、嘘なんでしょう? 仕事で何か嫌なことでもあったの?
 金髪の小綺麗な女が目の前でくすくす笑っている。見え透いた嘘をついている自分が嫌になり、彼は目をそらした。女の背後にある編み紐模様のアートパネルが目に入る。複雑な模様は全て一続きになっており、終わりも始まりもそこにはなかった。どうしていつもこの席を選ぶのか不思議だったが、ケルティック・ノットが彼女に似合っていたので尋ねたことはなかった。
 柔らかい金髪を肩から流し、毛先を丁寧に撫でている。
 ――おかしな人ね。いつまでも嫌なことを覚えて、自分を痛めつけてる。
(……?)
 違和感を覚える。記憶が入り混じっているのだ。そう言ったのは彼女じゃない。
 気がつけば、金髪の女はどこにもいなかった。代わりに別の女がいた。相手は猫のような目でステイカーを見ている。黒髪で、ぞっとするほど青い瞳をしたやつだった。恐ろしく美人だが、縦に開いた瞳孔が同じ人間ではないことを示していた。
 ――いつまでも……覚えて……痛めつけてる――
 ステイカーは苦いものを味わう。簡単に忘れられるのなら、苦労はしない……。
 時間が急速に息を吹き返した。
 白んでいた視界がみるみると開ける。目の前でダウリングが喚いている。耳鳴りがやかましいせいで、聞き取るのにかなりの時間を要した。
「お……い! おい! 起きろって! なんか言ってみろよ――この()()()()!」
 ごふっと咳き込んだ。息がしづらい。身体を動かすのがひどく億劫だったが、どうにかして腕を持ち上げた。指に抜いたピンが引っかかっている。
 ダウリングが彼の手をがっしりと掴んだ。
「信じられないやつだ――なんで銀煙を投げようと思った? あの状況で? いつ投げた? どういう反射神経してるんだ、お前? 壁までぶっ飛ばされてたんだぞ、わかってんのか? ()()()()?」
 まくし立てながら引き起こしにかかる。身体中のどこからでも痛みを訴えてきたが、いつまでも寝ているわけにはいかない。ダウリングに助けられ、ステイカーはようやっとの思いで立ち上がった。スモークのピンを捨て、顔を触る。ガスマスクがない。あの怪物に横殴りにされた時に爪で引き裂かれたらしく、床に残骸が落ちていた。ステイカーは鼻血を拭った後、再び咳き込んだ。口の中で血の味が広がっている。ぐらぐらする頭を振って、正気を取り戻そうとした。
「他の、やつは……?」
「信じられんが、生きてる」
 アルファ3が扉の側で待機していた。
「歩けるか?」ダウリングが聞いてくる。ああと頷いた。痛む脇腹を押さえながら、二度三度と深く呼吸する。室内は血とガスの臭いが充満していた。幸運にも肋骨は折れておらず、打撲で済んでいるらしい。肩がだいぶ痛んだが、動かないことはない。次第に頭が回り始めた。現在の状況を知る必要があった。
「どれくらい意識を失ってた?」
「一分か二分だ」と、ダウリング。
 それからアルファ5のチームが小部屋に入ってきた。これで六名。全員ほとんど無傷だ。奇跡としか言いようがない。
「なんなんだあの怪物は? 一昨日見た悪夢とそっくりだった」と、アルファ5。
「バックウェルだ」とステイカー。「発症した」小銃を拾い上げ、叩きつけるように弾倉を装填する。
「これで()()()ダンピールだ」
 空気が重くなる。こうなっては、この銃も役立たずかもしれない。
「あれはどこに行った?」
 アルファ5は一瞬理解が遅れていた。ずたぼろになっているステイカーを見て、「こいつはまだ戦うつもりなのか?」という顔をしていた。彼はすぐに気を取り直し、頭で通路の方をさした。
「……前も後ろも見えないぐらい錯乱していた。俺たちがわからなかったようだ。這いずり回りながら、そこのエレベーターの穴から上層に向かっていった」
 ダウリングが言う。
「合衆国政府に要請して爆弾でもなんでも落としてもらおう。もう俺たちの手には負えない。どうせこのへんに住んでるやつなんていないんだ。無人機のピンポイント爆撃なら話に乗るだろ」
 ステイカーはそれを聞きながらモールの三次元図を呼び出しそうとしたが、それがかなわないことを知った。
「ここをすぐに出た方がいい。電子機器が全員壊れてる」ダウリングが首を振る。無線機を何度か押したが、彼の言う通りだ。Aセッションは完全に切り離されている。アルファ3はマグライトを手の平に叩いて具合を確かめている。電球はパチパチと明滅を繰り返したあと点くようになった。無事であるのはあらゆる環境でも使用可能な軍規格の単純製品ぐらいだった。
 まずいことになったとステイカーは焦り始めた。MARが使えなくとも図面は記憶の中にある。
「この上は東棟のエリアだ」
 全員その意味をただちに理解した。
「Eと餌食者はまだ外に出ていないはずだ……」
 

 


【2019/10/20 更新】
【2019/08/16 更新】

Back to Top