セッション 01

縦横切り替え

 01
 
 
 無線の呼び声に耳を澄ます。(エコー)セッション、配置についたか、と。すぐさまチームメイトの応答が返ってくる。エコー1、エコー2、準備完了。全部で八名。声に緊張が漂っている。
 ジャック・L・ステイカーは粗末な壁に身体をはりつけてその時を待った。暗い室内だった。全身黒色の戦闘服に、防毒マスクを着用し、特殊弾を装填した自動小銃を携えている。ステイカーは手元に視線を落とした。無関係の人間からすれば、暗闇の中でバックライトも付けずに何を確認しているのかと不思議がられるだろうが、彼には時刻が見えている。手首から浮かび上がるようにデジタル数値が表示され、予定の時間までもう間もなくであることを教えてくれていた。目を上げると、他にも見えるものがある。壁の向こう側で赤くピンされた物体と残弾数だ。まるでモニター画面を通して周囲を見ているようだが、コンタクトレンズ型の補助デバイスによって現実環境が拡張しているのだ。しかし、ステイカーにとってそれはあまり好ましいものではなかった。ハントの言う通り、眼球という人間の一番繊細な部位に直接取り付けるということが気に入らない。それに複合型拡張現実〈MAR〉の感覚にはいまだに慣れないし、これからも慣れるものではないだろう。必要だからやっているだけだ。現に戦闘において役に立つ。
〈Edgar、配置についたか〉
〈Edgar、準備完了〉
〈Eセッション、全員(オール・)準備完了(イン・ポジッション)
〈了解。全員(オール・)準備完了(イン・ポジッション)
 グリップを握る手を、ぐっと持ち上げる。
〈待機せよ〉
 呼吸音がマスクの中で反響する。
〈待機せよ〉
 ……
〈突入〉
 ステイカーは踏み出した。前方に照準を合わせて、コンクリート壁に挟まれた通路を素早く進んでいく。MAR上に表示されている索敵システム〈EAP〉によれば――彼らはエドガーだとかだとか呼んでいるが――敵の数は十体だった。画面のいたるところで赤くピンされている。特に近い対象は視覚の上でわかりやすかった。つまり、いま最も脅威になる相手は強く発光し、まもなく接敵することを告げている。位置はステイカーの頭を何個も飛び越えた上方だった。EAPが正確に機能しているのなら、そいつは二階の床下で泥酔したように伸びているか……
 ステイカーは突入準備を整え、一息に飛び込んだ。スチール棚を置いた手狭な倉庫だった。棚は壁に沿ってがたがたに置かれているが、物は一つも入っていない。脅威を見つけた彼は即座にダブルタップした。
 さもなくば――天井にはりついているのだ。
 通常の自動小銃とは異なるタイプの、硬質な金属音が激しく空気を叩く。対象はまもなく天井に釘付け・・・になった。ボールペンサイズのスパイク弾が敵を仕留めたのだ。耳長の小鬼顔は、残酷な拷問に遭わされたかのように合板の頭部に針山を作っていた。それから心臓を狙い撃つ。敵を排除したステイカーは、腰から銀煙弾を取り出し部屋に転がした。また通路に戻って彼が移動し始めた頃には、背後で輝くガスが吹き荒れ部屋の外まであふれているはずだ。
〈一体射殺――〉
〈了解、一体射殺〉
〈一階、ダイニング、クリア〉
〈二階、寝室、クリア〉
〈一階、通路、死体を確認〉
 ステイカーは、一体、また一体と小鬼の標本作成に集中した。簡易に作られた案山子相手にスパイク弾を撃ちこんでいく。床、天井、壁、部屋の隅……非現実的な強襲作戦だった。だが、これはステイカー自身が過去の実戦で遭遇した敵の配置を模している。
〈行け、行け、行けっ、止まるな、動き続けろ! おい、お前――〉
 ハントのがなり声が無線越しに聞こえてくる。きっと相手の肩を掴んでいるか、もっとひどければ胸倉を引き寄せて精一杯に凄んでいるはずだ。
〈簡単に死体に近づくな、銀煙弾が先だ! 死にたくなければ訓練どおりにやれ! わかったか、さあ行け!〉
〈二階、移動する〉
〈接敵! 二階、通路!〉
 きらめくガスが煙るなか、いくつもの部屋を確保し終えて、ステイカーは両開きの扉の前にたどり着いた。すぐそばに窓。EAPはその奥で三体をピンしている。距離にして五メートル範囲内だった。無論、正面突入は危険を伴う。だが、通常戦闘であれば、これほど接近していればどこにいようと相手はこちらの位置を認識しているはずなので、どこから突入しようと同じことだ。それに現在、単独襲撃中だ。扉や壁を破壊してくれる仲間は一人もいないし装備も限定的だった。
 閃光手榴弾を取り出したステイカーは安全装置を抜いて素早く窓から投げ入れた。衝撃に備える。破裂した直後に正面扉からなだれ込んだ。燃え尽きたマグネシウムの薄い煙の向こう側で、合板に金髪女のポスターが貼られ、文字通り棒立ちになっているのが見えた。
 その真隣りに一体。人質の腰のあたりに案山子小鬼の頭部がある。素早く狙い撃った。金属を叩き折るような音を立ててスパイク弾が宙に展開される――発射の衝撃で釘を一段伸ばすためそのような音がする――それは小鬼の顔に襲いかかり、正確に口の中に命中した。壁まで吹っ飛んで撃ち留め(ピン)される。続けざま心臓を狙って貫く。二度と起き上がれまい。
 もう一体。パイプ椅子に男の人質。その隣。ダブルタップ。床に釘付けになる。心臓を貫いた。化物を殺すにはほどほどの杭が必要だ。
 最後の一体。ステイカーは一瞬の判断でその場を転がり危機を脱した。部屋の隅にいた案山子が高速で彼に襲いかかってきたのだ。実際は敵を模した標的が天井のレールに添ってこちらに突進してきただけなのだが――背中から手斧を抜いて一息に横にないだ。すっぱりと切断された小鬼の頭が、反対の壁まで飛んでいく。切断面は高熱に燃やされたように赤く燻っていた。すぐさま空いている方の手で小銃を構え、心臓を狙う。全弾命中。小鬼の動きが完全に止まった。
 後方にたたらを踏んでいた足を止めた。いつも、あとになってから、必要以上に距離を取っていたことに気付く。静寂の中、肩で息を整える自分の呼吸音が、まるで別の誰かが発した音のように聞こえていた。照明がパッとついて周囲が明るくなった。銃を下ろした。力を緩めたことで、手斧から伝わる振動も静まっていく。もう終わったのだ。
 無線では激しい交戦のやり取りが聞こえている。どうやら、対象DPは通路でセッションEと遭遇したあと天井裏に逃げて、それから別の部屋にいた構成員に襲いかかったらしい。ステイカーは首を振った。その場に自分がいないことに腹が立つ思いがした。
〈駄目だ、近すぎて撃てない――連れて行かれた!〉
〈俺がやる! エコー8、移動する!〉
〈一階東の窓だ!   窓から出ようとしている!〉
〈エコー5、エコー6、反対側から追い立てろ。どこもかしこも銀の煙だ。やつにもう逃げ場はない〉
〈了解した〉
〈見えた!〉
 ……
 ステイカーは、床から五〇センチほど底上げされた通路から降りて、模擬訓練場を後にした。振り返って改めて見れば、巨大なドールハウスのようだった。地下施設に造ったものにしては満足できるものだ。彼が床に降り立つとすぐに換気が始まる。同時に天井から鈎付きワイヤーが下りてきて壁を次々と解体していく。壁とはいえコンクリートの部分は表面だけで、内部は木の板だ。まあまあ重量があるものの、人間でも持ち運べる重さだった。それが組み立て式の本棚のように合わさり、さきほどの模擬場を作っていたというわけだ。状況によって部屋の数や広さを自由に設定できるし、標的と人質、そして簡単なギミックまで機械で設置することが可能だった。たいそう金がかかった便利な代物だ。昔であれば自分たちで角材とネジを使って大工仕事をしていたものだ。
 天井クレーンが壊れた壁をせっせと持ち上げて修理場送りにするのを見ていると、解体が進んだせいで、向こう側の監視室まで見通せるようになる。防弾仕様のガラスで囲まれたスペースに監視役が座っている。ここの規則として一人で訓練を行ってはいけないので、ステイカーが友人を連れてきたのだ。訓練結果を監視役に確認しなければならない。
 充分に換気が終わった頃に、彼はガスマスクをはいで監視室に向かう。中に乗り込むと、そいつはデスクの上に足を投げ出してポータブルゲームに熱中してるところだった。ステイカーは片眉をあげた。
「成績は?」
 友人はゲーム画面から目を上げ、モニターを見た。そこには何も表示されていなかった。タイムすら計測していないのは明白だった。にもかかわらず、
「はいはい、満点満点」
 こいつ、自分のゲームのスコアを言ってないか?
 彼は仕方なくキーを叩いてタイムと射殺数の整合を取った。及第点といったところだ。しかし、タイムは以前より3秒劣っているのが気になる。念の為、相手に聞いてみた。
「なあ、俺のこと見てくれてたか?」
「いいや」
 ステイカーはため息をはいた。
「やる前に言っただろ? 問題があるかもしれないから、何かあれば指摘してくれって。お前の協力が必要なんだ」
 無線では状況が終わったことを報告している。エコー8、レイ・ダウリングが対象DPを完全に沈黙させた。軽傷者一名、死者は無し。これから情報を洗い出すようだ。もう心配はいらないはずだった。
 監視役の友人はポータブルゲームを一時停止させてステイカーを見た。
「ジェイ君よお、俺は休憩中にこんなところに駆り出されてるんだぜ。本人がどうしてもって言うからさ。ところで俺がどんな仕事をやってるか知ってる? 食堂清掃兼、シーツ洗い兼、お前たちの下着洗い兼、電気工事兼、訓練壁修理係なんだよ。そんな俺に一体なにがわかるっていうんだ? それに、見ろよ、あの、あれを」と、友人は向こうの方を顎で示した。そこには、修理待ちの安壁が天井近くに収納されている。「大量に仕事を増やしやがって」
 広大な地下訓練施設は静かだった。射撃場、強襲訓練場、運動施設……等々、非常に充実している場所だ。しかし、実のところ二人以外に誰もいない。
 がらんどうの訓練施設だった。
 ステイカーは言った。
「わかった。あとで録画映像を見る。自分でな」
「それがいいね」
「ところでうちのセッションに加わる気は?」
「ないよ。とても忙しい」
「そうだよな」と、ステイカーはにこりともせずに監視室を出て行った。まったく、むかつく野郎だ。怒りながらスリングを身体から外し、訓練場を後にしようとする。その時、出口に人が立っていることに彼は気が付いた。
「良い成績だわ、ステイカー。一人で十体を相手にして」
 紺色のスーツを着たアグニエシュカ・ポランスキーが彼を待っていた。胸元では銀色の十字架が鈍く光っている。
「戻るのが早くて驚いたわ。肩の調子はどう?」
「悪くないよ」と、ステイカーは軽く肩回した。「どうもごぶさた。欧州から帰ってきたばかりか、シス?」
「つい先程ね。怒涛のスケジュールでどうなることかと……」
 相手は四十代後半の、黒い目が聡明に輝く女性だ。仲間たちの間では彼女はシスとか、ビッグ・シスターなどと呼ばれている。本名はポーランド系の名前だが、彼女の人種構成は非常に複雑だった。外見は黒人女性なのでアフリカ出身だと思う人間が多いが、国籍はイタリアである。ポランスキーのような者は別に珍しくはない。ここではそんな人間が大半だった。
「仕事終わりに、エーゲ海でバカンスとはいかないか」
「私以外の人たちは期待していたみたいよ。あの馬鹿騒ぎ好きの人たちのことよ。当然そんな予定を立てられるはずもないんだけど」
 二人は他愛もない雑談をしながら訓練場を出て、通路を歩き、武器保管室に入る。木棚とアクリル板で作られた半個室型の場所だ。ガン・マニアなら泣いて喜ぶところだった。必要なものは必要なだけ手に入れることができるので各人贅沢な暮らしぶりである。とはいえ、敵に有効な武器は限られてくるため実戦で使えるものは絞られてくるのだが。ステイカーは自分の区画に入り、身に着けた装備を取り外していく。その外で、ポランスキーは腕を組んで彼を眺めていた。
「Eセッションのことは聞いてる?」
「まあ。だいたいのことは」ステイカーは特殊弾倉を小銃から外した。「何を見つけたかは、まだ知らない」
 ポランスキーは軽く頷く。
「どう思う? 作戦に出すには早すぎた?」
 なんと答えるか迷うところだ。ハントとダウリングのプロ二名がいなければ同胞が一人、確実に死んでいたのは間違いない。
 ステイカーは手に持っていた銃とマガジンを作業台に置いてポランスキーに目を向ける。
「チームに参加したあの二人に聞くのが一番いいだろうな」
「正直に言って欲しいわ。あなただから聞いているの」
「少なくとも、今日は一つ結果を出した。俺なら前に進ませる」
 ポランスキーはまた頷いて、「私と同意見ね」と言った。彼女は頬に手を当て小さく息をつく。「Eセッションの全員が、あなたぐらいの技能だったらいいんだけど……」
「多額の税金が必要だ」
 ポランスキーは彼の皮肉に微笑んだ。
の人間と比べるものじゃなかったわね」
「どうかな。俺はろくでなしのクズだった」
 それは失礼した、とでも言うように彼女は眉を上げた。
「で、そっちは? ブラボーチームに同行したって聞いてる」
 彼女は口を引き結んだ。どう見ても腹を立てている。
「ええ、対象DPは完全に消えてなくなったわ。倉庫ごと消え失せてくれたのよ。これがどういうことかあなたにわかる?」
「いや……」彼は頬骨を親指でかいてから、片付けの続きを再開した。大方は予想がついていたもののポランスキーをあまり刺激したくなかったので、黙っておくことにする。
「後で速報を見てご覧なさい。ひとときの間だけ、楽しくなれるから」
「そういえばブラボーの姿が見えないな。あいつらは無事なのか?」
「無事だから問題なんでしょう」と、ポランスキーは小麦色の額に指を当てる。彼は密かに面白がった。まるで”一緒に吹き飛んでおいてくれたら丸くおさまったのに”と言わんばかりだ。
「罰として特別な指示を出したわ。自力の帰国には時間がかかるから」
 どうもやつらは相当のことをしでかしたらしい。俄然、ニュースを見るのが楽しみになってきた。
 スチール製のロッカーを閉めてステイカーは、
「俺から言えることは、ブラボーの調教はエコーの作戦よりも大仕事になるってことだよ」
 彼女はため息をついた。機関の責任者の苦労は計り知れない。
「頭が痛むわ。問題児はあなたたち三人だけで充分なのに」
「酷いな、シス……」
 それから二人は保管室を出てエレベーターに向かった。道中、いろいろなことを話した。今月の予算のこととか、人員のこととか、機関の運営に関わる内容だ。彼は主に訓練や戦闘行為にかかる計画に携わっていたのでポランスキーとはそういう話をいつもする。しかし、そろそろ雑務は誰かに譲ってしまいたかった。彼の本音はこうだ。訓練計画はともかくとして、帳簿の残高を気にすることと、請求書をボードにピン(・・)するのは俺の仕事じゃない。
「――とにかく、今は我慢して付き合ってもらわなきゃ」せかせかと前を歩きながら彼女は言った。ステイカーは、地上行きのボタンを押す相手を見下ろし、
「わかってるよ、ビッグ・シス。だけど、一番の問題はそこじゃない」
聖域サンクチュアリ」ポランスキーの黒い瞳が向けられる。
「……私がいない間に何か変わったことは?」
「なにもない。何週間もずっと同じだ」
 一瞬、彼女の目が深刻そうにかげるのをステイカーは見逃さなかった。すぐに毅然としたものに戻るのだが。
「わかった」ポランスキーは続けて、「あなたも知っているとおり、最近の〈R2クラブ〉の行動が気になる。聖域にはなんともしようがないけど、なんとかしないといけない。わかっているわよね? Eセッションの件は真剣に検討しておいて」
 エレベーターが地上に到着した。ポランスキーは真っ先に下りてステイカーを振り返る。「でないと私達、もうおしまいよ」
「了解、ビッグ・シス……」
 忙しなく遠ざかっていくポランスキーの足音が、自動扉に遮られていく。ステイカーは壁に背中をあずけた。はやくシャワーを浴びたくて仕方がない。胸に覚える小さな不安感も同時に洗い流してしまいたかった。
 各地に散らばっているNGO組織群の中核にあたる、この〈アダムの骨〉は、致命的な問題を抱えている。
 慢性的な人手不足なのだ。
 
 
 
「……チーフ。車内禁煙ですよ」
 がたごとと揺られながらレイ・ダウリングは目を上げた。フルサイズの改造バンの中では、武装した人間が窮屈に詰め込まれていた。が、ある男の周りだけは心なしか座席に余裕があった。オークリー社製の〈ジュリエット〉サングラスをかけた大男だ。年齢は三〇前半。茶色の髪はくせが強く、短髪にしていても鳥の巣のようだった。顎の周りの無精髭が目立っている。名前はウィリアム・ハント。ダウリングの元上司だった。ずっとチーフと呼んでいたのでそのままの呼び名を続けている。
 ハントは無言で煙草をもみ消して窓をぴしゃりと閉めた。
「開けといてくださいよ。こもるから」
「うるさいぞ、レイ」
 やれやれと首を振って、周りに目を向けた。笑ってくれるやつが一人くらいはいるかと思ったが、そんな人間はいなかった。なんだか全員落ち込んでいる。出発前は、「俺に成果をとられるなよ」と言い合うほどやる気が漲っていたのに、今は悪魔に魂を抜かれてしまったかのようだ。
 そうなのかもしれない、とレイ・ダウリングは思った。初戦は誰でも憂鬱になる。怖気づき、こんな仕事を続けられるのだろうかと自分を疑う。彼も最初はそうだった。
 チーフは相手に期待をしすぎなんだ。俺なんて、やつらを見た時はその場を飛んで悲鳴を上げたっていうのに。
 そんなことを考えながらダウリングは言う。もう少しねばってみてもいいかなと思ったからだ。
「それに怖がられてますよ。もうあんたに絡むやつが一人もいなくなるかも」
「ほっとけ。孤独に飽きたら海に出るだけだ」
 一週間前まで「くそったれの海」とかなんとか言っていたような気がするが。ハントの機嫌がしばらく直りそうにないことを改めて確認したダウリングは、耳にイヤホンをつめて音楽プレイヤーを再生した。帰ったら無添加のチーズ・ブリトーを食べたかった。疲れていたし、腹が減っていた。
 〈アダムの骨〉に帰還したEセッションはその場で三々五々に散っていった。三〇分後に作戦報告室に集まるよう指示を出したのでまた顔を合わすことになる。しかし、ハントとダウリングの二人はフル装備のまま報告室に向かった。報告聴取の前に話をしておきたい相手がいたのだ。ハントが扉を開けて二人してのしのしと中に入ると、そいつは空席のプラスチック椅子に囲まれるように座り、MAR上でニュース動画を見ながら紅茶を飲んでいるところだった。真鍮色の髪に緑色の目をした若い男だ。ダウリングの目から見ても端正な顔立ちだが、どことなく野性的な雰囲気がする。そのくせやけに洗練された部分も兼ね備えているのでダウリングには時々奇妙に思える男だった。
 ジャック・L・ステイカー。そんな彼らの友人は現在、左腕と右足に太い石膏ギプスをはめている。その表面にはタイムとキル数、そして「ぼくを任務に連れて行って」という文字がピンク色のマジックペンで書かれていた。
 ハントがダウリングとサングラス越しに目を合わせ、彼に聞いた。
「……俺たちが一日いない間に何があったんだ?」
 ステイカーはギプスをはいで床にぼとりと落とす。「こうしているとデスクワークが減るんだ」
「お気の毒様」ダウリングは笑った。相変わらずこのイギリス人はおかしなやつだった。
 ステイカーはハロー・キティのプリントされたマグを椅子に置いて文句を言う。
「おい、俺は言われたとおりに訓練の目標を達成したんだ。何か言うことがあるんじゃないか?」
 ダウリングとハントはにやっと笑った。
「”復帰おめでとう“」
「どうもありがとう」
 三人は固く握手をして、仲間が正式に戻ってきたことを純粋に喜んだ。
「それで、作戦はどうだった?」
 マグに口をつけてステイカーが伺った。彼が現場のライブ音声を全て聞いていたことは二人とも知っている。
「最悪だ」と、ハントは椅子を引き寄せて逆座りした。「全く最悪だ」
 ダウリングも銃を隣に置いて、隣に座る。何か食べるものがないかとあたりを見回していたら、ステイカーがテーブル代わりにしていた椅子の座面から、きゅうりのサンドウィッチの乗った皿とカップを渡してくれた。ダウリングは内心それがチーズ・ブリトーじゃないことにがっかりしたし、またあのべとべとに甘いお茶を飲まされるのかと思ったが、空腹だったので我慢をした。よくよく見たら壁際にきゅうりサンドがたくさんある。ステイカーが作ったのか、他の誰かが作ったのか……
 ハントはお茶だけ受け取って、すぐに飲み干した。背もたれを抱きかかえるようにして、
「最初に嫌な予感がした。車内で青ざめているやつがいるから、どうしたんだと聞いてみた。全カートリッジに非殺傷模擬弾を詰めて実戦にやってきたそうだ」
「すごいな。大物だ」とステイカー。「それで……?」
 ハントはグローブを外して視線を落とし、いじりながら言う。
「時間がなかったから半分俺のをやった。で、俺はその時耳元で囁いた。『無駄撃ちはするな。かといって撃ち渋るな。もししくじれば……間違いなく腹ペコ野郎に食われるだろうが、その前に俺がお前を殺してやる』」
 ふーむ、とステイカーは唸ってダウリングに視線を投げる。彼もハントの機嫌の悪さを理解したらしい。ダウリングは肩をすくめてそれに応えた。
「他にもある。死体に不用意に近づいたのと、訓練通りに突入手順を踏まなかったのと……外に出すには早すぎたんだ」とダウリング。「あいつらにしてはよくやっていると思う。だけど、俺にはまだ足りない」
「本戦は?」
「無理だな」
 きっぱりと言ってから、ウィリアム・ハントは声の調子を落として付け加えた。「……まあ、少なくとも、三ヶ月は」
「そうですかね。俺は選抜からもう一度やりなおさせたいくらいだ」
「お前、俺より厳しいな……」サングラスの奥の目の表情はわからないが、彼の眉は困ったように下がっていた。「さすがにそこまで考えてない」
 二人を静かに見比べて、おやおやとステイカーは思った。機関で一番悪態をつくハントよりも、一見おだやかなダウリングの方がキツイ現実を言ってくれる。無理もない。彼はいまだ現役の軍人なのだから。
 ステイカーはそれとなく告げる。「とても言いにくいんだが……レイたちの突入と同時に長丁場の訓練をしたが、俺のほうが早く終わった」
 それを聞いてハントは落胆していた。訓練を積んだ相手とはいえ、病み上がりの人間の単独行動に劣るとは。彼はEチームの作戦指揮を取っていたのでなおさらへこんでいる。
 レイ・ダウリングは首を浅く振った。
「最初から無茶な話だった。BUD/Sをやればすぐに結果が出る。エコーの連中は誰もヘルウィークを越えられないだろうな。俺たちの基準で考えれば……」
「わかった。全部言わなくてもいい。だけどな、兄弟、今は仕方ねぇだろう。俺達の手札は少ないんだからな。紛争地の人間を教育しているようなもんだ。荒れ地でどうやって人を集める? まあ、強みがあるならひとつだけだ。やる気は誰よりもある。目には見えないが、大事なものだ」
「その証明が必要か?」とステイカー。二人は少し考えた。ダウリングが口を開く。「ああ、必要だ。困難を乗り越えれば自信になる。それに、どんなときも心の支えになる」
「考えておこう。いつかきっとそう言うだろうと思ってた。Aセッションは一時解散することになるだろうが――」
 それから三人はEチームの方針について話し合った。機関でも実戦経験が豊富な人間はとりわけこの三人だった。というか、三人以外に戦闘プロフェッショナルがいなかった。どれだけ人手に困っているかわかってもらえるだろうか。聖域サンクチュアリが不在のいま、自分たちでやれることをやるしかなかった。
 満足するまで話し合ったちょうどその時、アグニエシュカ・ポランスキーとEセッションの構成員、それに何名か補佐の人間が作戦報告室に入ってきたので、急に騒がしくなった。ポランスキーは鋭く手を叩いて注目を集める。
「さあ、始めましょう。もう準備は整ってるわね?」
 ポランスキーは狼の群れをまとめる頭領のような存在だ。いつも鋭く、きびきびしている。三人そろって彼女を振り返り、
「……俺たちも早く独り立ちしないといけないな」と、ハントが小さくぼやいていた。
 
 
 ここ、〈アダムの骨〉の即応チームはAからGまで存在する。
 (アルファ)。ステイカー、ダウリング、そしてハントなどの、機関の初期から勤める者たちのチーム。構成員の技能レベルが高いため、困難な業務はほとんど彼らがこなしている。
 (ブラボー)。とりわけ攻撃に特化したチーム。現在国外活動中だが、自分たちのしでかしたことに始末をつけさせられているので帰還時期は不明。
 (チャーリー)。再構成だがほとんど新設と言っていい。国外訓練中で来月帰還の予定。
 (デルタ)。同じく再構成。Cと共に国外訓練中。
 (エコー)。さらに新設した。彼らの色はこれから明らかになるはずだが、その前にチームそのものが維持できるかどうか怪しくなってきた。
 (フォックストロット)。名誉の永久欠番。つまり最初期の方で構成員が全員死亡したためである。
 (ゴルフ)。通称ゴーストと呼ばれている。諜報任務を主に受けており、それは最終的にAに引き継がれることが多い。その件について本人たちはやや不満なようだ。
 機関は軍隊ではなく民間警備会社(PSC)の体を取っているのだが、実際は要人警護の仕事よりも積極的活動を数多く行っていた。用があれば突然乗り込み大騒ぎして帰ってくる。合法的な組織かどうかここで言及することは差し控えるが、現在のところ合衆国連邦政府と秘密裏に契約を結んでいるので、誰の目にも見えない法的不備下の活動状態いうことになる。他にも契約を結んでいる政府は存在する。
 ポランスキーが腕を組んで椅子に座っている。報告を聞き終えた彼女はスクリーンを見上げて言った。
「射殺したDPは二体。舌の裏側にダブルのR……。マクマートン兄弟の〈R2クラブ〉の関与は間違いなさそうね」
 スクリーンには射殺死体が投影されていた。撤収する直前に情報収集としてEが撮影したものだ。ポランスキーが言うとおり、拡大写真の一つに、ピンク色の上皮にRを重ねた模様がどす黒く沈着しているものがある。だが、射殺死体の異様さに比べれば、そんなものは些細な違いでしかないだろう。
 なんとも気味の悪い生き物だった。
 異常に長い手足。肘の関節が捻じれ、発達し、鈎のように背後まで鋭く尖っている。首はゴム人形のように伸び切っており、付け根からもう一つ頭部らしきものが生えかけている。らしきもの、というのはそれが人間の頭とは似ても似つかないものだからだ。まず目につくのは、赤い両目をカッと見開き、邪悪な形相でこちらを睨みつけている顔だ。額や頬に特殊弾でピン(・・)されているにもかかわらず、変わらず敵意や悪意をこちらに向けている。膨れて変形した前頭骨――どことなく蝙蝠の頭に似ている――、むき出しの無数の牙、屈折した長い指、長い爪、脇の下のだぶだぶした皮膜、白い肌に赤い体液がぬらつき、腕はもう一対ある。人間らしいところといえばその腕とネイル・マクマートンの()頭部だけである。
 グロテスクとしか言いようがなかった。化物の首にひっついているネイル・マクマートンの恐怖と失望の表情がなおのこと気分を悪くさせた。Eの何人かはスクリーン上の、自分たちが撃ち殺した生き物を我慢して見ているが、内心では目をそらしたいと思っているに違いない。ステイカーは目だけでEのメンバーを見た。一人、写真の前で動揺している人間を見つけた。作戦当時、マクマートンに連れて行かれた男だった。あとで心理カウセリング室に引っ張っていかないといけないな、とステイカーは思った。最悪の場合は休養という意味で田舎の警備をしてもらう。
「それで、この死体は?」と、ポランスキー。
「現場で簡単に解剖した後、特注の死体袋に入れて合衆国政府宛てに送付した。途中で灰になっていると思うけど」
 ダウリングが答える。彼は先程からスクリーンの隣に立って詳細を報告している。Eの誰かが聞いた。「なんで政府があれを欲しがるんだ?」
「一つは、俺たちがちゃんと仕事をしているかを監視している。もう一つは情報集めだ」
 ダウリングの簡潔な説明に、また誰かが言う。
「そのうち生け捕りにしろなんて言うんじゃないだろうな……」
 薄ら寒い沈黙が漂う。誰もが、その場で殺さなければチームの誰かが死ぬと思っている。それは他でもない、自分かもしれない。
 しかしステイカーにはわかっていた。自分たちの装備でならその作戦は可能であるということを。当初からそれは想定されていたのではないかと彼は思っている。
「大丈夫。もし仮に捕獲任務になったとしても、あなたたちにはさせない」とポランスキーは軽く言って、すぐに話を変えた。
「R2クラブの溜まり場はミーナが調べてるけど――それで、ミーナ? 持ち帰った情報に何か面白いものはあった?」
 彼女が通信端末でそう問いかけると、スピーカーからすぐに返事があった。情報責任者のミナ・リュードベリだった。
『特には。いつものエイリアンの巣が待ち構えてるかもってだけ』
「一〇体ぐらいか?」と、ハント。
『ううん。これを見て。あなたたちの後ろに投影した』
 振り返ると扉の前に半透明の小さな町ができていた。MAR上で擬似立体図を見せてくれるらしい。全員でその周りに集まってしげしげと見下ろした。
『マクマートンのGPS記録とガソリンスタンドの利用歴と諸々のカード情報から割り出した場所。特にここ――』
 地図を上からぱっと見て、俺がやつらならその場所に根城を作るな、という所をミナ・リュードベリが手書きで丸く示した。すぐに街の一部が拡大される。
『商業施設の工事現場』
「でかいな」と、ステイカーは呟いた。
 三次元立体図は地上5階、地下3階の巨大な建物だった。ただし、それは完成されておらず、かじられたホールケーキのように穴が開いている。
「工事計画はどうなってる?」
『ちょっと待って……そうね、簡単に言うと、半年前、地下排水設備を工事している途中に図面にない古い排水パイプが見つかって、そこから化学汚染水が流れてきたから作業が中断されたみたい』
「本当に汚染水ならいいんだが」
 ステイカーの言葉に、Eの誰かが聞いた。
「やつらは泳げるのか?」
「そういうやつもいる」
 まじかよ、とうめく声がした。
「周辺住民はどうしているの? もしこんな大きな場所にDがいるのなら、誰かが見ているはずでしょう?」
『工事がストップすると同時にみんな転居していった。例の無意識的・集団危機回避ってやつね。逃げ遅れた人たちもいると思うけど、そういうのは中に引きずられてるはず』
「つまり……周辺含め、このあたり一帯が街の空洞地区になっている、と」
 ポランスキーの結論に、ミナ・リュードベリは肯定した。『そう。あの子におあつらえむき』
「どのくらいいるかな」ダウリングが立体図から目を離さず聞いてくる。ステイカーは答えた。
「四十は手堅いな」
「俺もそう思う」と、ハント。
 ステイカーは首を振って続ける。「最低でも四十。六十はいない。場所は広いが、そんなに多いと食料が不足する。マクマートン兄弟は二週間に一度、一人か二人を攫っていたから、小規模集団を維持する程度になるだろう」
「四十から五十?」とダウリング。
「そのくらいだ」
 ハントはふいときびすを返し、椅子に立てかけていたライフルを肩に担いでまた戻ってきた。「聖域抜きなら、エコーも連れて行かないとだな」すれ違いざまにそう囁き、
「おさきに」
 身振りつきでハントは報告室を出て行った。
「どうする?」ダウリングがこちらを見た。相手は、やれやれ仕方ないな、という目をしていた。尋ねてはいるが、すでにどういうことになるか想像がついているようだった。
 案の定、それはすぐに始まった。
「……俺達もあんたたちと一緒に?」
「化け物の群れを、ここの全員で? 二十人にも届かないのに?」
「有効な作戦は?」Eの面々が口々に言う。
 ステイカーは拳を口に押し当て、数秒の黙考を挟んだ。問題は単なる数の話ではなかった。「少し考えさせてほしい」と彼は言う。
「軍の支援はないのか?」
「支援はない。これまでもなかったし、これからもない」
「――冗談じゃないぜ。連中は元々仲間なんだ。あいつらも手伝うべきだろう」
「無理だ。そうすると、お前の言うとおり”連中の仲間”を俺達が連れてくることになる」
「酷ぇ話だ……」
「あのー、ちょっといいですか」
 Eの一人、イ・ジュンスが手を挙げた。元警察官である彼はEの中でも特にスキルが高い人物だった。
「僕たちにはすごい特効薬があるって聞いてるけど、それは今どうなってるんです? というか、そのひとはどこに?」
 みながこちらを向く。
「……Bプールだ」と、ステイカー。「聖域はしばらくそこから出られない」
 すると「Bプールってなんだよ」とか、「聖域ってどういう意味だよ」とか、「俺達はどうなるんだ」とか言ってくるので、ダウリングとステイカーは一人一人辛抱強く相手をするはめになり、ポランスキーが鋭く指笛を吹き鳴らすまでごたごたは続いた。
「静粛に――静粛に! 私達にはまだ情報が足りない。今、ハントと一緒にGを向かわせてるわ。ミーナは衛星画像やセキュリティカメラを使って監視を続けて。AとEは8時間後に最召集をかけるから、それまで各自部屋で休むなり家族に電話するなりしておきなさい。今あなたたちにできることは何もないの。私がないと言ったら本当にない、わかった? 解散!」
 二人に半ば食ってかかっていたEチームは拳を引っ込めて、しぶしぶといった様子で部屋から出て行く。ダウリングは肩をすくめ、「俺は一眠りするよ。それから冷蔵庫にあるブリトーを食って、また戻ってくる」
 お前も休めよ、とステイカーの肩を叩いてダウリングもその場を後にした。
 
 
 
 ここに来ると、血は薬品の匂いだと錯覚しそうになる。
 束になった医療用チューブが四方から巨大な水槽に垂れ込んでいる。絶えず送られる薬液は赤く、水槽の中で一定の量を保っていた。ポンプの可動リズムを表した電子音、静かなモーター音、その他色々な計器類、暗い照明……この医療室に入ることができる人間は〈アダムの骨〉でも限られていた。彼らの間ではBloody(ブラッディ)Pool(プール)と呼んでいる。
 ステイカーは壁際の椅子に腰掛け、商業施設の立体映像を縮小したものを見ていた。とはいえMARを付けていなければ、片足を上げ、膝の上に腕を載せ、ひと気のない所でなんとなくだらだらしているようにしか見えないだろうし、映像の上から文字を書き加えていたり、階層を分割したものを真横に並べて考え込んでいるとはとても思えないだろう。思考が行き詰まったせいで、指先で仮想のペンがくるりくるりと回っていた。
 誰かが医療室に入ってきた。特にそちらに視線を向けなかったが、ポランスキーだということは足音でわかった。
「ペンの重みが無いのが、気に食わないんだ」とステイカーは呟いた。「なのにMARを付けていないときでさえ、仮想のペンがないかと探すことがある。時々、見えた気がすることもある。現実と虚構の境界がわからなくなっているのかもしれない」
「重量を知覚できるインプラントを作りましょうか。気になる問題が一つ解消されるわ」
「そんなものを脳に埋め込まれるぐらいなら、俺はこの仕事をやめてやる」
 ステイカーは当然のように言いながら、三次元図から視点を外し、その向こう側に焦点を合わせた。
 彼女(・・)がいた。聖域サンクチュアリと呼ばれるものの正体が、プールの中央で半分沈んだ格好になっている。ひと目で死んでいるのがわかる状態だ。それが今のサンクチュアリだった。顔の左半分はえぐり取られ、頭骨までむき出しになっている。空洞になった左の眼窩、欠けた鼻、頬骨、それに鋭い犬歯。被害は顔だけではなかった。左腕は上腕から下が骨だけになっているし、手首から先はなくなっている。肋骨の一部が身体から見えている。脇のあたりなどは白い衣服の上からでも不自然にへこんでいるので、内臓が部分的になくなっていることがすぐにわかる。
 それなのに、彼女は不自然なほど美しく見えた。右目は優しく閉じられ、黒い睫毛が柔らかく反り、今にも目を開けて眠たげにこちらを見てきそうだった。小さな口元は薄いピンク色で、半分になってもなお可憐な形をしていた。穏やかな死に顔と言うべきか。黒髪が液体の中で揺れて時々白い頬をくすぐっている。
 ポランスキーはゆっくりとした足取りでそれに近付いた。彼らはプールと呼んでいるが、側面は過剰に装飾が施されているし、素材は大理石のようだから、彼女のためにあしらえた大きな棺も同然だった。
 ポランスキーは手をついて、人工血液で満たされた内側を見下ろした。
「……来る度にいつも思うわ。本当に生きてるの、って」
「計器上では間違いなく死んでいる」
 ステイカーは立体図を視界から消して、言葉を続ける。
「出会ったときからずっと死んだままだ。これから先も死に続けるんだろう」
「花は、あなたが?」
 ポランスキーは、縁の上に置かれているチューベローズのことを言っていた。一つの茎にいくつもの白い花が咲く球根性の植物だった。それが三本、八重咲きになっている。
 彼はポランスキーの隣まで行って一茎手に取り、花の部分を折って落とした。純白の花は真紅の池に浮かんで、循環の流れにそって回りながら、サンクチュアリの身体までたどり着いた。
凶眼(ドゥルック・アイ)は嫌な相手だった。あの時のことを考えているんでしょう」
「ああ。毎日」サンクチュアリから目を離さずにステイカーは応えた。
「数時間後に適性ダンピールと遭遇するかもしれない」
「可能性が高いが、まだわからない……」
 ポランスキーは疲れたように首を振った。「私は、彼女があんな風になってもなお、今すぐ目を覚まして私達を助けてほしいと思ってる」
 俺もだ、とステイカーは小さく言った。
 通常であれば、小集団を作る化物――変性ダンピールたちは群れても十体程度だった。多すぎても血族を維持できないし少なすぎても長く生存できない。
 DP、あるいはDと呼んでいるもの――ダンピールは無意識に仲間を求め、集団に帰属することを強く望む。家を作り、新しい仲間を見つけ出しては誘い込むのだ。それが制限を超えて四、五十体も集まるとなると、特異な性質を持った個体が匿われているか、あるいはそいつが統率しているかもしれない。無意味に集まる生き物ではなかった。そのうえマクマートン兄弟は〈R2クラブ〉の名誉会員で、例の集団に多大な貢献をしていたというのだから、連中たちにとっても何か重要なものなのだろう。
 サンクチュアリはその適性ダンピールと対峙して、負傷した。二度と起き上がれないくらいのダメージだった。普通の人間であれば、何度死んでいるか。数時間前にEがやっつけたタイプなど、比較にならないような相手だ。あんなものは雑魚だ。最初に遭遇する兵隊のようなものだ。本当に厄介なのは、吸血鬼サンクチュアリを痛めつけるような手合いのダンピールだった。
 ポランスキーが言う。
「残念だけど、作戦日の延期は認められなかった。ただちに初めて何日かけても終わらせてほしいそうよ」
 依頼主の強硬的な姿勢はいまに始まったことではない。
 ステイカーは聞いた。
「最悪の場合の最終手段は?」
「高慢の炎が焼き尽くす」と、ポランスキー。
 〈プロメテウス〉のことか、と彼は思い当たった。合衆国が保有する最大の火薬が見境なく降ってくる。その手続きはシステマチックで、人間が介在する余地がほとんどない。
(ブラボー)の現在はどうなってる」
「半分くらいは国境付近で捕まったと報告があった。今は交渉している最中よ。頑張ってみるけど、間に合うかは微妙ね……大目に見てあげればよかったといまは思ってる」
 かっとして判断したのは間違いだったと彼女は言っている。
「Bの破壊行為は誰が見てもやりすぎだ。テロリストと変わらないなら出ていってもらうしかない。俺たちはならず者じゃない」
 ポランスキーは小さく息をついた。「みんながみんな戦いたがるわけじゃないの。普通の生活をしようと思えば、少し我慢をすればできるのよ。それに、私達が最低限の保証をしているから、戦うことに意味がないと思う人もいる」
 わかっている。今日の監視役の友人もそうだった。人手が足りないとはいえ、無論、彼のような人間を責めることはできない。
「Bは馬鹿なんだ」と、ステイカー。「逆境を好むやつらはみんな馬鹿をやりたがる」
 ポランスキーは黒い目をこちらに向けた。「それじゃあ、ステイカー、あなたは?」
「……彼女(・・)からすれば俺も同類だろうな」
 吸血鬼は静かに眠り続けている。
 
 


【2019/10/20 修正】
【2019/04/10 更新】

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