コンフリクト (2)|Living Dead the Sanctuary

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 Conflict 02
 
 ステイカーは大股で通りを横切り、GT―Rの扉に乱暴に鍵をさした。
「ねぇ、待って! ジェイ、一体どうしたの?」
 エリファが遅れてやってきた。彼女はショルダーバッグを肩に下げ、助手席側に立ち、車越しに非難がましい目を向けてくる。
「なんであんなことをしたの? 見間違いにしたって——突然、ひどいよ」 犬のブレイクはエリファの横にぴったりと立ち、頭をかしげて彼女を見上げていた。
「あの二人なら今頃、『実演に違いない』って思ってるだろうけど……」
 ステイカーは彼女には答えず、厳しい口調で言う。
「乗れ。帰る」
「なにそれ、怒ってるの?」エリファは憤慨していた。「勝手に動画のことをバラされたから? 自分で送ってきたんじゃない」
「そうじゃない」
 ステイカーは顔をそむけ、GT―Rの屋根を神経質に数回小突く。「早く車に乗れ」公園の入り口に立っているバイオ・セキュリティが、ちらとこちらに目をやっている。同僚と何か話しはじめた。ステイカーはごく自然に体の向きを少し変え、セキュリティからは顔が見えないようにした。
 曲がり角で電話をしている中年の男、法定速度で走るありふれた車両、ドライバーの視線、スマートフォンのカメラ——表情には出さないが、それらが気になって仕方がない。
「ああ……わかった。そういうことね」
 何がわかったって? エリファを見やると、彼女は訳知り顔で頷いている。一戦の予感がした。妹は兄に負けず劣らず気が強い。
「本当は嫌いなんだ。同性愛者が。画面の前なら安心できるけど、実際にはかかわりたくなかったんだ。失礼な態度はそのせいだったの。つまり、()()()()()()ってことよね?」
 ややズレたことを言う妹に、こんなところでやめてくれ、と彼は言いたかった。車には、ライフルと、弾丸と、(コイウルフ)の死体を積んであるんだぞ——ステイカーは正直に話す代わりに、必死になって弁解した。
「同性愛者もまた神がそうお作りなった。満足か? 俺にはゲイの知り合いがいる。俺は差別主義者じゃない」次は人種差別主義者だと言われかねない。
「へえ、そう」彼女は一つも信じていない口調だった。「困ったな、友達になんて相談しよう」
「違う」
「じゃあ、なに?」
「クラブだ!」ステイカーは車の屋根をたたいた。「俺はクラブが大嫌いだ。あんな場所にかかわるくらいなら、ひと気のない駐車場で警備員として生涯を終えた方がずっと良い人生だ」
 妹はぽかんと彼を見ていた。気まずい空気が二人の間にただよう。ステイカーは屋根に腕をかけて下を向き、縁石を蹴っている。本当のことだがあまり言いたくなかった。オクトーバーフェストを避ける陰気なドイツ人みたいだ。
 他にどうしろと? 怯える一〇代の妹をなだめすかしながら、その後、自分が騒動を起こして妹と犬に静止させられた。コーヒーショップの店員はもう電話をした後かもしれない。積み荷も身元も知られたくない。エリファにも詳細を知ってほしくない。すぐにでもこの街から立ち去りたい。
 ステイカーは喉のつかえを取るように咳をひとつした。
「俺の主張がわかったら、車に乗るんだ」
 エリファは口を尖らせて渋々と言うことを聞いた。彼女が助手席を開けると、シェパード犬が真っ先にシートを飛び越え、お気に入りの後部座席で腹這いになる。
「あんなにダンスが上手いのに?」エリファはシートベルトを引っぱっている。
「そうだよ。別にいいだろ」
 彼も運転席に乗り込み、サングラスと帽子を素早く身につけ、GT―Rを発進させた。前方ではバイオ・セキュリティの一人が彼の車を指差している。かなり気掛かりだがそれ以上のことは起こらなかった。彼らは雑談を続け、前を通り過ぎる時には、片方がこちらに手を振ってきた。
「知り合い?」とエリファ。
「いいや」ステイカーは適当に手を上げてやりすごす。「気にするな。ただの車好きだ」
 ぶっ壊された前の車が必要だと思った。この車両は目立ちすぎる。何故乗っているのかと聞かれれば、廃車寸前のGT―Rを気の毒に思って引き取ったのが始まりだ。車の修理は幾分か日常の気晴らしになった。そのうち良い値段で売れるだろうと思っていた。あの車さえ壊れなければ。
 その時、前触れもなく血臭が鼻の奥でむせ返った。夜の森の、冷たく湿った空気。枝をばきばきと踏み抜く音と、ヘッドライトに張りつけになっている人型のシルエット。白い光の中で血まみれになっている女の顔——肩の丸い影——右手の杭の重み——
 ブレイクの吠え声で、ステイカーは我に返った。染みのようにこびりついた記憶を心の中でどうにか追い払う。
「……大丈夫?」
 急に黙りこんだ兄を心配したのか、エリファが上目で様子を窺っている。
「ああ——」運転の傍ら、座席の間から顔を出すブレイクを、左手でなでた。「大丈夫だよ」
 空はしだいに灰色の雲が広がりはじめていた。車内の古臭いデジタル時計は17時前を表示している。〈キャロビーズ社〉の催しもピークが過ぎている頃だろうが交通量はあまり変わらなかった。後続の車両が右折するのを車内ミラーで確認したステイカーは、GT―Rの速度をあげた。そして彼は妹に小言をいう。
「俺が言っておきたいことは、お前は高校生で、まだ子どもだってことだ。ああいうやつらとは深入りするべきじゃない。どこで知り合ったんだ? どうせネットなんだろ」
「どこだっていいでしょ」エリファは刺々しい物言いをした。むっとした顔をしている。
「親父に知られてもまだそう言えるか」
 エリファはうんざりとした溜め息をつく。「水泳部の友達の親戚だよ。ネットでも繋がったけど、きっかけは水・泳・部。怪しい人じゃないよ。大会にも応援に来てたんだから——どこかの誰かと違って」
「大会? 数人しか参加しない不人気スポーツだろ。だいたいなんで最初から二人のことを俺に話さない?」
 強く肩を掴まれた。「説教はやめて——話したら来なかったでしょ? 同じ国にいたって、滅多と会いにも来ないくせに!」
 エリファは身じろぎし、窓の方を向いてしまった。
 そうして兄妹はしばらくの間、沈黙のドライブを続けた。
 彼女は何も悪くない。ステイカーが良い暮らしぶりでないことは妹も知っている。ただ不出来な兄のことを心配して、家族を寂しがっているだけだ。妹の機嫌を取ろうとして安易に誘いにのるべきではなかった。
 無視をすることもできたのだろうが、今日彼女と会わなかったら、状況が悪くなるのはなんとなく想像がついた。返信をしてくれなくなるとか、面倒を見てくれているおばさんの家に帰らなくなるとか、悪い友達と付き合いはじめるとか。
 信号が赤だったので、シェブロンのガソリンスタンドの前で停止した。客はあまりおらず、一台しか給油していない。
 黙っていたエリファがのろのろと聞いてくる。
「パパには言わないでくれる?」
「あいつに言ってどうなる。連絡先も知らない……」
 軽蔑を隠そうともしない兄に、エリファはかぶりを振った。ステイカーは窓の縁で頬杖をついてそれ以上は言わなかった。エンジンの低い唸り声が腹に響いてくるようだった。俺たちは父親の居場所さえ知らないんだからな——彼は心の中でそう付け足した。
 青に変わる。クラッチとシフトレバーを操作して、サイドブレーキを下げた。車が交差点にさしかかった時、警察車両がけたたましいサイレンを鳴らしながら対向車線を走り抜けていた。
 エリファがぽつりともらす。
「あの誕生日プレゼント、嬉しかったな」
 荷物の処理をどこでやるか考え始めたところだったので、ステイカーは一瞬何のことかわからず混乱した。「動画か?」
「そう、動画」とエリファ。横を見ると、エリファはシートベルトに手をかけて、やはり窓を向いていた。「ああいうこと、絶対にやらないと思ってたから」
 ステイカーは口元に笑みを浮かべた。
「六年も会ってなかったし、生き別れの兄の顔を思い出して欲しかったんだよ。笑えただろ」
 エリファは肩をすくめた。どうかな、という目をしていた。
 あー、と声を出し、ステイカーは頭を働かせて言葉を続けようとした。仲直りのチャンスなので逃したくなかった。「実をいうと、あの時はすごく酔っ払ってたんだ。プレゼントの選別にも悩んでて。それで、取り壊しになる古い倉庫があるって偶然聞いたから、いい気分になったまま三人くらい引き連れてやってみたんだ。その、ダンスを。あまりに楽しんだものだから一人は転んだままだったが、悪くない作品になったよ。誰とどこで撮ったかは聞くなよ。映像からは特定できないようにしてある」泥酔した仲間を運び出すのに苦労した。なにせ無断侵入だった。
「なんだか信じられないね」
「そうか? ダンスくらいやるよ」
 ブレイクが身を起こして、シートの肩に頭を乗せた。エリファがぎこちなく手をやると、ブレイクは指をくんくん嗅いだあと、じっと見下ろしていた。おやつでも出てこないかと思っているのだろう。ブレイクは人間が好きだし、妹のハンカチを使って躾けたので、エリファに攻撃的になることはない。
 彼はそれを横目に、「俺たちだって四六時中暴力について考えてるわけじゃない」と言った。
「でもオリーブグリーンの迷彩服を着てたよね」
「あれしかなかった」
 エリファはくすくす笑っている。兄が彼女のことを軽んじているわけではないということを幾らか思い出してくれたようだ。あの後、何人かと殴り合いになったことは黙っていようとステイカーは思った。
「ミカエラに動画を見せたら羨ましがってたよ。面白いお兄ちゃんがいて良いねって」ミカエラとはエリファの友達のことだ。「あ、そういえばその時のミカエラの反応を撮ったんだけど、お兄ちゃん、見る?」
 待て、やめろ!——エリファはバッグから、最新モデルの携帯電話を取り出し、ステイカーが静止する間もなく電源を入れた。
「え?」携帯電話を持ったまま、彼女は目をしばたたかせる。一瞬でも凝視した兄を不思議に思っている。「どうかした?」
 間を置いて、彼は言った。
「良い携帯電話だな。買い換えたのか?」
 車は見通しの良い交差点にさしかかろうとしていた。あまり都会でないせいか、アスファルトがひび割れている道が多い。気が付けば交通量も減っている。後続の車もいなければ前を走っている車もいない。東の方からやってくる一台を除いて。
「そう。去年パパに買ったもらったの。お兄ちゃんのよりも三世代新しいよ」
「ふうん。気になるな。ちょっと貸してくれよ」
 エリファは彼と違って良い子だから、おとなしく携帯電話を手渡した。最近はガラスのように透明な製品が流行っており、どこも似たようなデザインだ。手に持つと、アプリケーションの陳列の背後に自分の掌が見える。しっかりと電源が入っており、アンテナが立っていることも確認した。
 ステイカーは自分の古びたプリペイド式の電話をポケットから取り出して、エリファの携帯電話と一緒に窓から投げ捨てた。
「ちょぉ——!」
 交差点の真ん中に落ちた二つは、タイミングよく左から直進してきたダンプカーが轢き潰していた。
 エリファはこれでもかと目と口を開けて呆然と振り返っている。ステイカーもシートに肘をかけ背後を目を凝らす。壊れたのはステイカーの携帯電話だけだ。ギアをリバースに入れた時、エリファが髪を振り乱して、ばっとステイカーを見上げる。
「うそ、うそ、うそ、取りに戻るんだよね?」
 彼女の哀願は聞き届けられなかった。GT―Rはものすごい速度で逆走し、交差点を目指しはじめた。「うわああ!」と絶叫して暴れるエリファの体を片手で押さえつけ、ハンドルを切って急ターンする。タイヤは耳障りな悲鳴を上げ、車体が大きく揺さぶられた。エリファは無事だったが、後部座席のブレイクは遠心力で転がり、猛然と吠えていた。
 後輪が何かをバリっと割る感触があった。GT―Rを一旦停止させ、ギアを入れ替えて前に発進させたため、二度踏んだことになる。
 運転しながら、そっと横目で妹を見る。「クズ野郎」とエリファが低く呻いた。クソ兄貴より酷い言い様だ。
「そうだよ、どうせ俺はクズだ」とステイカー。「詳しくは言えないが、おかげで今、大変な目に遭ってる。前にも言ったはずだ。俺と一緒にいる間は、電源をつけない約束だった。俺の前の仕事を忘れたわけじゃないよな?」
妄想症(パラノイア)なの? NSAが監視してるとでも? 向こうだってそんなに暇じゃないよ!」エリファはかんかんになっている。「空港のチケットもあの中に入ってた!」
 車を加速させた。エンジンの乱暴な唸りが腹に響いてくる。
「キャンセルだ」
「なに?」
「陸路で帰る」
 北米大陸の西の端から東の端へ車で戻るという意味だ。
「冗談でしょ……? 明日はミカエラと約束が——」
「許してくれるさ。優しい子だから」
 エリファは何かを言おうとして口を開けたり閉じたりしている。ステイカーは言う。「あの携帯電話、確か、最新モデルが来週発売するよな。今度買いなおそう。バックアップデータはネット上にあるよな?」
「だいっきらい」と妹は吐き捨てた。それ以降、車内では二度と会話をしなかった。
 日没を待たずに、空には曇天が押し寄せていた。小粒の雨が窓に当たりはじめている。
 
 


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【2021/07/05 掲載】

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