🎃ハロウィンと犬🐺

こちらの話を読まないと、登場人物が掴みにくいかと思います。(だいぶ好き勝手に書きました)

 

縦横切り替え

 

 
ハロウィンと犬
 
 
 月に暗雲がたちこめ、雷鳴がはるか遠く、雨の到来が近い真夜中のことだった。主人のいないベッドの隣で丸くなっていたジャーマン・シェパード・ドッグのブレイクは、うっすらと目を覚ました。とはいえ、犬は夢の中で、チキンいっぱいの海で長いこと泳ぎまわり、おおいに喜びを享受していたため(これぞ、人生!)、部屋に何者かが入って来て冷蔵庫や戸棚をあさって、がさごそと忙しなくうろついていたことにすぐに反応することができず、無意味に前足をかいていただけだった。その頃、夢の中では、ダチョウサイズの鶏がこちらに襲いかかってきたと思ったら、綿菓子になって飛んでいってしまった。
 まだ夢の中にいるのだと、ブレイクは思った。
 後から思い返せば奇妙な話である。常であれば、犬は人の気配で飛び起きて、周囲の様子をさぐる。なにせブレイクは誇り高いジャーマン・シェパード・ドッグだ。しかし、その時のブレイクは、意識がホイップクリームの中にどっぷりとつかってしまったようになり、丸まっていた体をぐうっと伸ばして横に寝そべりぐうぐうと寝息を立ててるだけだった。
 掃除ロボットが起動し、動き始めた。ぎゃっと小さな声がした。声の主とおぼしき気配は、大慌てで駆け回った後――複数の足音だった――どしんと何かが壊されてしまう。静かになる。
 犬は起きなかった。
 しゃっしゃっと床を掃き、窓を磨く音。雑誌を片付け、出しっぱなしだったカップを洗い、戸棚にしまう。ナイフまで研ぎはじめた。
 それでも犬は起きなかった。どうでもよかった。ブレイクにとって、夢の中のチキンの方が大事だった。
 そうこうしているうちに、何者かはブレイクのふさふさした背中を丁寧にブラッシングしてくれたので、ブレイクは心地よくなってしまい、ついには眠りながら腹を見せるとその者はやはり優しくブラシをかけるのだった。
 その完璧な手つきと言ったら――まるで主人のようではないか!
 ブレイクは目を開いた。暗い室内でぼんやりと人影がシルエットのように浮かぶ。犬は思わず尻尾をふって相手を見上げると、影はさっと動いてソファの中に沈んでしまった。もうその者の姿はよく見えない。ブレイクから見えるのは、背もたれから突き出た頭と肩の一部だけだった。主人がモニターをぱちんとつけると、青白い光が部屋をうっすら明るくした。
 スピーカーから陽気で素敵な歌が流れている。
 ブレイクは犬のため知らなかったが、一九三三年にウォルトディズニー社が制作した、三匹の子豚が家を作るときの歌だった。曲のタイトルの通り〈Who’s afraid of the big bad wolf?(狼なんかこわくない)〉と繰り返し、藁の家と木の家の子豚たちは楽しく飛び跳ねる。その二匹の家は狼が息を吹いただけで吹き飛んでしまうが、頑丈なレンガの家を作った子豚は無事だった、というお話だ。
 どっと笑う声がした。その声はたしかに主人のものだった。彼は足先でリズムを取りとても楽しそうに体を揺らした。モニターの光によって主人の大きな影が壁にうつりこみ、不思議にゆらゆらとしていた。やけに腰が曲がっているように見えた。
 犬は首を傾げ、鼻を鳴らした。なんだかおかしいなぁと犬は思っていた。ブレイクの目から見て、モニターは不鮮明で何かが映っているようには見えなかった。立ち上がって、数歩近づき、一度吠えてみた。
 すると主人はソファからゆっくりと身を乗りだし、ブレイクを振り返って「シーッ」と指を口元にあてた。ますますと軽快な音楽が耳に入る。
 楽しい音楽だ。歌と一緒に踊りだしたくなってくる。
 犬はかちゃかちゃと爪を鳴らして足元に近寄り、鼻先を押し付けた。主人はブレイクの頭を撫でてくれた。それで犬は満足だった。
 「シーッ!」
 息を吐いて犬の注意をひいた真っ黒な主人は指を左右に振ってみせる。それからどこからともなくオレンジ色のバケツを取り出し、それをブレイクの前に掲げてとんとんと二度指さす。「いい子だね」と主人は言った。「これがわかるかい?」
 ブレイクは尻尾を振った。
 かぼちゃのバケツ!
 ハロウィンだ!
 ブレイクはハロウィンが大好きだ。ブレイクは犬だけれども、その日はたくさんのお菓子がもらえることを知っている。
 ブレイクがお座りをしてバケツの取っ手をくわえると――尻尾の振りはいっそう激しくなり、二つの前足が宙をかいている――それを見た主人は満足そうに一つ頷いてから長い指をぱちんと鳴らした。
 そこでブレイクの意識はぷつりと途切れる。雷鳴がどこか遠くで聞こえていた。
 
 🎃🦇👻
 
 ドアがばたんと開いた。
 ジャック・L・ステイカーが意識を朦朧とさせながら部屋に入ってくる。ガスマスクを脱いだばかりなのか、くすんだ金髪はくしゃくしゃで、緑の目は虚ろだ。ステイカーは黒い戦闘服を着たままベッドにぶっ倒れてしまう。そのまま動かなくなった。スプリングがこれでもかと軋んで持ち主の体重を受け止めていた。
 再びドアが勢いよく開いた。視線を下に向けなければ風のせいだったと思うかもしれないが、ただ単に彼の犬が猛烈な勢いで突入しただけだった。
 ――ご主人! ご主人! ご主人!
 ブレイクは部屋で何度もジャンプした。
 ――ご主人! 起きて! 三週間もどこに行っていたのですかご主人! さあ起きて起きて起きて! チキンが食べたい! 私を覚えていますかご主人! 私は覚えていますよ!
 ブレイクはベッドに飛び乗り、ステイカーの背中を前足で押した。ステイカーの横腹に頭をこすりつけ、ずりずりと前進し、シーツというシーツに皺を作った。
 ――ごっしゅじーーーん! お帰りなさい!!
 床とベッドを交互に行き来する。尻尾をちぎれんばかりに振って吠えに吠えまくった。犬にとっての三週間は人間が体感するよりもずっと長いのだから当然の興奮だった。
 ステイカーは錆びついた機械のようにぎこちなく腕を上げ、ようやっとな様子でベッドから手を下ろした。その手が彷徨っている。ブレイクが頭を押しつけると彼は力なく頭を撫でた。
「頼む……寝かせてくれ」ステイカーは瀕死の声で言った。「三週間……ろくに寝ていないんだ……」
 ――何をご主人、昨晩お帰りになったではないですか! すぐにいなくなってしまうなんてあんまりですよ。
 ブレイクは手をべろんべろんと舐め回した。
「もう無理だ、しばらく戦えない……。なのに、くそっ、どうせ今晩も呼び出される……何がなんでも寝なきゃいけないんだ。わかるよな……」
 ブレイクはわんと吠える。意味は「わかりません!」だった。それよりブレイクは主人にバターチキンカレーを作ってほしかった。チキンのおこぼれをもらえるからだった。
 バターチキン、バターチキン、バターチキン!
 手の中でむちゃくちゃに暴れる犬をほうっておき、ステイカーはうつぶせに倒れたままうん、と頷いた。
「そうなんだ、わかるか、えらいな。さすが俺のシェパードだ。ドイツ原産だがお前は英国生まれだから実質英国の犬だ。英国の犬は賢いんだよ。ほら、いい子だから……」
 支離滅裂なことを言ったステイカーは、枕元の音が鳴るボールを手に取り、ぷいぷいと鳴らして廊下まで無造作に投げた。
 ブレイクは大喜びで走った。しかし、おもちゃを口にして部屋に戻るとステイカーは気絶していた。
 ブレイクはボールをぽとりと落とす。わんと吠えた。
 ――ご主人? ご主人!
 ベッドからはみ出してぶらぶらしている腕を甘噛みして、服の裾を引っ張った。
 ステイカーは起きなかった。
 主人は明らかに元気がなかった。
 ブレイクはその場に座って少し考えたあと、爪を鳴らしながら部屋の奥まで行き、おもちゃ箱の中から引っ張り綱を口にして戻ってきた。ぽとりとステイカーの手元に落とす。死んだように沈黙している。何の反応ももらえなかったことにブレイクはがっかりした。犬のおもちゃを持っている時の主人は喜びと気力に溢れていたので、それを見ればきっと元気が出ると思ったのだ。
 ――ご主人、どうしたんですか! どうしたの、どうしたの、どうしたの! これから大事なお仕事があるのでしょう? 昨晩そう言ったではないですか! 
 ブレイクはベッドに飛び乗ってステイカーの腹の下に鼻を突っ込んでもぐろうとした。無理だった。ステイカーの体重は犬にとって重すぎたのだ。ブレイクは主人の頭をべろべろと舐めて後ろ首に頭をこすりつけた。苦しげなうめき声が一度聞こえたがやはり彼は起きてくれなかった。
 これは一大事である、とブレイクは理解した。主人はなにがしかの事情ゆえ、ぴくりとも起きることができないほど憔悴しきっている。となれば、
 ――私の出番ですね!
 ステイカーの体をクッションにしていたブレイクは、すっくと身を起こす。それからソファの上にあったバケツのかぼちゃをくわえて飛び降りた。部屋の出口でベッドを振り返る。
 たとえご主人がいなくても、この私が必ずや任務を遂行いたします。なにせ、今宵はハロウィン! 昨夜の言いつけを守り、主人の代行犬としてお菓子を集めてまいります。それこそが私の使命。至上の喜び!――ご主人、しばしの別れです。それにしてもチキンが食べたかったな。
 一匹のジャーマンシェパードが部屋を飛び出して〈アダムの骨〉の施設を走り回ることになるが、その主人であるステイカーは気絶していたため一つもわからなかった。
 
 🎃🦇👻
 
 犬が一匹、施設をうろつくのは日常茶飯事だった。が、その日はとりわけ注目を浴びた。ハロウィンの日にシェパード犬がカボチャのバケツをくわえてトコトコ歩いているのだ。もちろん、そのカボチャはジャック・オー・ランタンを模しており、オレンジ色のプラスチックの体に黒い目がつりあがっている。
 寮をめぐっていると、そこかしこから笑い声やため息が漏れ聞こえた。
「へえ、かわいいじゃないか。誰だ、犬を飼ってるのは?」
 さっそく人間がブレイクの前にあらわれた。その人間はブレイクの目線に合わせて腰を落とすと頭や首を撫でまわした。
 ブレイクは愛想よく座って、ジャック・オー・ランタンを床に置く。尻尾を振ってわんと吠えた。
「なんだなんだ? ハロウィンってことか? おい、誰かお菓子を持ってるか? ――誰もいない。すまんな、ここのやつらはケチなんだ。ワン公に人間様のお菓子はやれないってよ」
 はははと笑いながら男はブレイクの頭にぽんと手を置いてその場を去る。その時、男の爪先がプラスチックのランタンに当たり蹴倒してしまったのだが、彼は仲間と談笑するのに忙しかったせいで気が付いていない。からからとプラスチックのバケツが転がっていた。
 ブレイクの愛想は終わった。
「ガウガウガウガウガガウガウ!」
 ――駄目だ駄目だ駄目だ! ダメダメダメ!
 犬は吠えまくって相手の裾に噛みついた。
 ――お菓子をくれなきゃ駄目だ! でなければ私の仕事の邪魔をしないでいただきたい!
「うわ、なんだよ! やめろ!」
 人間は大慌てで足を引っ張ったが勢いあまって尻もちをついた。どすんと床が鳴る。
 ブレイクは獰猛に唸り、噛みついた口を離さなかった。
 周囲でげらげらと笑い声が上がる。
「ユアン、とてつもなくダセえな」
「どうした、それでもカウンターDの隊員か?」
「笑ってないで犬をどうにかしろ!」と人間は廊下を張って逃げようとするがブレイクも体を鍛えていたので相手を引きずり戻した。「こいつなんて力だ!」
「お前、知らないのか? そのシェパードちゃんはステイカーの飼い犬だぞ」と誰かが野菜スティックを食べながら言った。
「くそ! あいつの犬か! 通りでいけすかねえわけだ!」ユアンと呼ばれた間抜けっぽい男は泣きべそをかいていた。
 ブレイクは犬なりに思った。相手は犬を好ましく思っているが、生涯で一度も獰猛な態度を取られたことがないのだろう。つまり、ユアンは精神的にショックを受けている。
「誰かキャンディでもなんでもいいから持ってこい! 頼む!」
「持ってくるか?」
「いや」と誰か。「それよりわん公の勇士をステイカーに送ってやろう」と端末を取り出して動画の撮影までしはじめた。
 助けを得られないと知ったユアンは必死の形相で体中をまさぐり、はたと気づく。胸ポケットから食べかけのグミをさっと取り出してブレイクの鼻先で痙攣したように振って見せた。
「ほら! これでいいか? お菓子だぞ!」
 ブレイクはユアンの足を離し、くんくんとにおいを嗅いだ。
 ――リコリス菓子か。まあいいでしょう。
 ブレイクはジャック・オー・ランタンの元までトコトコ戻り、前足でバケツをたたいた。
 ――人間よ、ここに捧げ物をいれたもうれ。トリック・オア・トリート!
 ブレイクはユアンに牙を見せた。
 ユアンは青冷め、素早い動作でリコリス菓子をバケツに投げ入れる。
 犬は満足した。
 ランタンの取っ手をくわえて、とことこ歩きだす。ブレイクは何事もなかったかのように、廊下に倒れているユアンの前を通り過ぎ、尻尾をふりふりどこかへ行ってしまった。
「なんなんだよ……」ユアンは呆然と犬の尻を見送るしかなかった。
 その場にいた人間たちは腕組みしてブレイクの行き先を見ていた。
「問題発生と思うか?」
「大丈夫だろう。だいたい今のはユアンが悪い。おいユアン、いつまで寝てる? こんなところをステイカーやアルファチームに見られたら再訓練された挙句に死後永久にからかわれるぞ」
「”やあユアン元気かこの前うちの犬が……””ところでユアンこの前うちの犬が……””みんな聞いてくれ、思い出したんだがこの前うちの犬がユアンに……”」「”ぴえーんわんちゃん怖いよ〜”」
 ユアンのチームメイトはからかいの具体例を次々と挙げた。
「うるさい! 犬はもう嫌いだ!」
 ユアンはチームメイトに靴を投げた。
 
 🎃🦇👻
 
「わ! 犬が乗ってきた! てか、デカっ」
 ぐうぐう大いびきの聞こえる部屋の前を通り過ぎて、上へ下へと移動し、連絡通路の先にあるエレベーターホールから、ジャーマンシェパードは乗り込んだ。
 エレベーター内には先客がいた。女性職員が三名壁側に寄っていた。ブレイクはケージの真ん中でお座りしてエレベーターが動くのを待った。自然と犬は人間に囲まれていた。
「犬がエレベーターに乗るの?」
「いいじゃない、可愛いんだし。どこに行くの、ふわふわちゃん」
 頭を撫で回される。エレベーターが動き出す。
「訓練所じゃないかなぁ」と一人が言った。「K9みたいな部隊を養成してるって聞いたことがある」
 人間が階層ボタンを押した。
「でもお菓子回収用のバケツを持ってる」と一人が言う。
「ほんとね」そこで、ああ、と思い出す。「このこ、確かステイカーさんが飼っている犬よ」
「え、そうなの?」声色が変わった。「わんちゃん、お菓子はいかが? あら〜とってもいい子でちゅね〜ハッピーハロウィン!」と、チョコレート菓子をかぼちゃのバケツに入れる。
 思わぬ収穫にブレイクは嬉しくなり、振り返って尻尾をぱたぱた振った。この人間の匂いを覚えておこうと思った。犬という生き物は義理堅いのだ。それに、もしかしたら、今度はブレイクのために素敵なチキンを用意してくれるかもしれない。
 犬の後ろで会話が続いている。
「大人しいし、けっこう可愛いかも❤」
「犬にチョコレートをあげて大丈夫?」
「自分じゃ包みを開けられないよ。人間のために運んでるに決まってるって。表に名前を書いとこうかな」
「サトコってわかりやすいよね……ところで最近どうなの?」
 細いため息が聞こえた。
「旗色悪し」と誰か。
 気の毒そうに、「宿敵があのひとじゃね……」
「ううう」
「うわ、泣いた」
「えっ、ごめんって! 後で聞いてあげるから……」
 ポーンという音を立ててエレベーターが到着した。ブレイクはとことこ降りて次の場所を目指す。
 日中は寮よりも訓練施設や食堂の方が人が多いということをブレイクは知っていた。
 エレベーターホールには、誰かが設置したであろう骸骨のびっくり玩具が、立てかけた棺におさまっており、人が通るたびに緑に光ってワハハと笑い声を上げていた。
 
 🎃🦇👻
 
 犬が施設を元気に歩く
 ――トリック・オア・トリート! トリック・オア・トリート!
 シェパードが前を通るだけで人間たちの心は虜になっていた。
「元気か、ブレイク? 怪我をするなよ。ほらお菓子だよ」
「ハーイ、相棒ちゃん。こっちに来て。マシュマロがあるわよ」
「ああ、いたいた。ビーフジャーキーを持ってきたよ」
「ブレイク! こいつをやるから、ステイカーに言ってやってくれ。予算を使い過ぎだってな!」
 ブレイクは人間が大好きだった。ブレイクはみんなから愛されていることを理解していた。
 ――私は人気者ですね。ご主人も私のこの姿を見れば誇らしく思うでしょう。早く帰って撫で撫でしてもらわなければ。
 ブレイクの歩き方はいっそう力強く、自信たっぷりになった。
 ――しかし、まだまだ集めていかねばなりません。もっともっとお菓子でいっぱいにしてご主人に喜んでもらいたい!
 バケツをかたかた鳴らしながら、ブレイクは〈求めよさらば与えられん〉という手書きの看板をたてかけた部屋の前を通った。武器庫であった。
 中から怒鳴り声がした。
「何度言っても装備を出しっぱなしにしているな! 誰だこの区画の持ち主は!?」
「ステイカーです」
「またあいつか!」何かを蹴飛ばす音。
 ひそひそと話す声もした。犬の聴覚は鋭いので部屋の外にいてもブレイクにはその囁きがよく聞こえた。
「一つ一つの装備を綺麗にテーブルに並べていて不気味だな……まるで今すぐにでも出ていけるような……」
「神経質なサイコみたいだよな……」
「ぐずぐずせずに今すぐ片付けるんだ! 規則は! 守るように!」
「了解しました」
「はい。…………”サー殿”」
「規則規則って、ハロウィンのオーナメントはいいのかよ」
「個室は鍵がかかってるから誰も困らないだろうに」
「そのままにしておけ。どうせ”サー殿”はここに戻ってきやしない。午後からカクテルパーティがあるそうだ」
 武器庫から怒りながら人間が出てきてブレイクと遭遇した。男の眉はぴくぴくして鼻の周りは皺くちゃになり、まるでブルドックのような険相だった。
 ブレイクは彼を見上げ、お座りしてバケツを通路に置き、首を傾げた。
 人間は立ち止まってしばらく犬を睨みつけていた。が、たちまち破顔してブレイクを撫で回した。怒れる男もブレイクの必殺ポーズにひれ伏したのだ。
「おお、よしよしよし、今日は道に迷ったのかい? やっぱりシェパードは可愛いなぁ。そうかそうか、私を覚えているのだな。偉いぞう。さあキャンディをあげよう。なんていったってハロウィンだからね」男はふと疑問を呟いた。「それにしても、よく見かけるこの犬は誰のものなんだ?」
「上官殿……?」と武器庫の入り口から声をかけられる。
「何だね、私は忙しいのだ! 用が済んだら各自持ち場につきたまえ!」男は慌てて立ち上がり、そそくさと行ってしまった。
 武器庫の前で首を捻る隊員を尻目にし、ブレイクはさらに下層へと進んだ。
 進むにつれて通路のすみや壁にはハロウィンの飾りが増えていく。宙に浮いた半溶けの蝋燭、カボチャで作った巨大な蜘蛛、ビニールの黒猫、狼のはく製と踊る老いた魔女。
 古めかしいラジオから、ヘンリー・ホールが陽気に歌う
Who’s afraid of the big bad wolf?(狼なんかこわくない)〉の曲が聞こえている……
 
 🎃🦇👻
 
「オオカミなんかこわくないったらこわくない……」
 無精髭を生やしてキャップをさかさまに被った男が鼻歌交じりに小銃を構えていた。あちこちで独特な射撃音が響く。
 その広い地下施設では、現在米国待機になっているセッションB(ブラボー)が貸し切りで射撃訓練を行っていた。
 よくあることだが、鼻歌はいつの間にか別の曲とまぜこぜになっている。
「ジス・イズ・ハロウィン♪ ジス・イズ・ハロウィン♪ バッドウルフ、ハロウィン、バッドウルフ、ハロウィン……おい、みんな見てくれ!」
 訓練終了と同時にキャップが呼ぶと、三人が小銃を携えてぞろぞろと小部屋に集まってくる。全員、実戦と同様の装備を身に着けていた。
 ジェリーヘッドがそれを見て言った。
「やるな」
 標的を模した人形がコンクリート壁に釘でうちつけられているのだが、両手を合わせて天井に掲げるというヨガポーズのままピン止めされていた。足は片方を曲げた4の字だ。人形は言うまでもなく、全身釘だらけになっている。
「どうだ? お前らにはできないだろ。人形には手を触れずに、この位置から撃ったんだ」とキャップがにやついている。
 元はといえば、その人形はソファにだらしなく座って侵入者を待ち受けていたはずだ。
 熊男が凶悪なトゲ人形の隣で同じポーズをした。「おい、写真を撮れ。SNSへのアップロードは許可しない」
「サンキーに言わせれば『間抜けな殺人マニアみたい』ってやつでしょ」ファラは不味い飯を口にしたような顔で言った。
「射撃の腕に関しては俺はすごいと思うよ」ジェリーヘッドは素直に関心する。
 突然、真横でわんと吠えられた。
 四人が素早く照準を合わせる。黒い銃口が四つ分、犬の眉間を狙っていた。
 ジャーマンシェパードドッグが首をかしげていた。
 隊員たちは、ほっと力を抜く。
「お前、ビビったな?」ジェリーヘッドが顎で示す。「こいつにだけは言われたくなかった」と返す熊男。
「ブレイク、何してるのこんなところで。犬を連れてきたのは誰?」
 ファラがブレイクの首をわしゃわしゃとかき回す。その手つきが気持ちよかったので犬は思わず腹を見せようかと思ったが、大事なことを忘れるわけにはいかなかった。
 トリック・オア・トリート!
 犬は首をそらして遠吠えをした。かぼちゃのバケツを前足でたたく。
「菓子をくれ、だってよ」キャップがファラに耳打ちした。「誰がこいつを寄越したんだか……」
 その時、無線機から呼びかけられる。チームリーダーからただちに撤収するようにと指示を受けた。ファラが応答し、肩をすくめる。「”バンビ”が怒ってる」
「熊ちゃん、犬を運んでおやりよ」とキャップ。
「”そうよん、あたしを運んでちょうだい”」ジェリーヘッドが後ろから犬の両足を持ち上げてアテレコをした。
 そういうわけで一番体格のあった熊男がファイアーマン担ぎで大型犬を運んで出てきたのだが、組み立ての仮設ハウスの外で腕組みをして待っていたのは一番背の低いブルーノ・ヒギンズだった。ヒギンズの左右では残りのチームメイトが退屈そうにしている。
「遅い。何してた」とヒギンズ。「なんだそいつは? “犬”質だったのか?」
「知らない。迷ったんじゃない?」
 ファラは熊男の肩にいる犬を撫でた。ヒギンズはため息をつく。
「休憩の後にもう一度突入をやる。反省会はその後だ。――おい、お菓子はよせ。気が抜けてくる。ただでさえあれが鬱陶しいんだ」
 組み立て式の仮設ハウスの壁では、カボチャおばけの巨大なネオン灯が飾り付けられ、ビカビカと眩しく光っていた。
 各自武器を置いて水を取りに行ったり、折り畳みチェアに座ってアミノ酸ドリンクを飲んだりした。ヒギンズは映像を見るために監視部屋に行ってしまった。
 犬は舌を出して小刻みに呼吸をしている。というのもブレイクはみんなが何かを飲んでいる様子を見て喉の渇きを覚えていた。
 ブレイクも歩き疲れていたのだ。少し休みたかった。
 しばらくそうしていると、トムと呼ばれている男がのしのしやってきて、ペットボトルの水をブレイクにたくさん飲ませてくれた。誰もそれに気がついていないけれども、犬だけはトムは結構いいやつだと知っている。
「訓練所まで飾る必要があるかねぇ」とプロテインバーを食べながら誰かが言った。
「仕方ない、今日は来賓がある予定だったんだ。毎年ハロウィンパーティをするのに、直前になって、今年は全部無しになった」
「理由は?」「忙しすぎるから失せやがれってことよ」「Aは今頃へとへとになってる。三週間で世界一周分は働いたとか」「さすがのサンキーもお疲れだろうな」「あいつが汗をかいてる所を一度でも見たことあったかよ」
「おい、良いことを思いついた」熊男は突然飛び起きた。「飛行ドローンにソーセージをくくりつけよう」
「それで?」
「今度の散歩から、犬は勝手にドローンを追いかける。リードはいらなくなる。ドローンは犬に引っ張られて墜落しない」
「天才かよ」
 その場にいた全員が熊男の妙案に同意した。
 それですぐさまセッションBの面々は飛行ドローンと大量のソーセージを用意し、二つを紐でしばりつけた。装着する肉の量が多すぎたので、ドローンはもはや空飛ぶソーセージ号のありさまだったが、けたたましい音をたてて無事に離陸する。これが上手くいけば、ドローンによる犬の散歩で高価な機材を壊さなくなるだろう……当番の時に楽ができるというわけだ。ブレイクは犬の実験台だった。
「ほら、ブレイク! 見ろ! ソーセージだぞ!」とキャップがボクシングのレフリーさながら、犬の隣で床を叩いている。
 寝そべっているブレイクは前足にあごを載せてドローンを眺めた。
「”あほが”って顔してるな」トムが言った。
 熊男はむきになっていた。
「どうした、ワン公? お菓子集めで腹が減ってるだろ? ほら、こうやって追いかければ昼飯が食えるんだ……」
 熊男が四つん這いになり、両手両足をばたつかせてみっともない”ハイハイ”をして実演した。身長が一九〇センチもある大男がやることではなかった。
 ブレイクはやおら立ち上がる。ついにやる気を見せたのだと全員思った。
「今だ、肉を前進させろ!」と熊男。ドローンが高く飛ぶ。犬が追いかける。少しずつ速度があがる――ついには犬の体はトップスピードに乗って空中の肉の塊めがけて突進した。「いいぞ、やっちまえ!」「機体を旋回させろ! 壁だ!」
 ブレイクは物凄い速さで壁を駆け上ってぽーんと高く飛んだ。あっという間の出来事だった。犬は自分の体の何倍もの上空にあった飛行ドローンにがぶりと噛みつき、墜落させて、地上でむしゃむしゃと怪物のような破壊行為をした。ドローンは完全に壊れていた。なのに機体のソーセージは一つも食われていなかった。
 全員が呆気に取られてそれを見下ろしていた。
 翼が曲がったドローンを噛み締めたまま、うう、とブレイクは唸る。
「やっぱりステイカーの犬だよな」とジェリーヘッドは言った。「しつけ方がハンパねえ……」
「この犬、賢いよ」とファラ。「少なくとも、ここの誰よりも」
 熊男は咳払いする。猫なで声で、「お菓子をやるから機嫌を直してくれるかな? パピーちゃん?」
 ブレイクはカボチャのバケツをくわえて座っているだけでよかった。各人一つずつ、小さなおやつをバケツの中に入れるために、ブレイクの前に並んでくれたからだった。
 ヒギンズが戻ってきた。彼は何故か機嫌をよくしていた。もっとも、壊れたドローンを見つけたらヒギンズのご機嫌もすぐに終わるだろうが……。
「通路から面白い飾りを取ってきた。この犬には何かが足りんと思っていたんだ」ヒギンズはそう言いながら、ブレイクの頭に飾り付きカチューシャをつけている。なんだかんだ我らの隊長も楽しんでいるじゃないか、とチームの面々は思った。
「――どうだ? 最高だろ? これぞハロウィン(ジス・イズ・ハロウィン)だ」
 明らかに、小さな斧が犬の頭をかち割っているように見える。
 みんなでくすくす笑った。ブレイクが歩くと斧がぶらぶら揺れるので余計におかしかった。
 人間がにこにこしているので、なんだかブレイクも嬉しくなってくる。
「よし、みんなを驚かせてこい」とヒギンズ。
 ブレイクは誇らしく吠えて、バケツを口に訓練施設を飛び出した。通路から悲鳴が聞こえていた。
 
 🐺🪓🩸
 
 人の賑わう食堂にて。
 イ・ジュンスが昼食のフライドチキンにかぶりつこうとした時だった。彼がふと前を見ると、頭に血まみれの斧が刺さったジャーマン・シェパードが、涎をだらだら垂らしながらテーブルの上に顔を乗せていた。
「うわ!」彼の腰は椅子から数センチ浮いてテーブルの裏に膝をぶつけた。「冗談だろ……!」胸を押さえると心臓がどきどきしている。犬は向かい側でベロンと唇を舐めていた。
 食堂に犬がいるだけでも驚くのに、その頭に斧が刺さっているのだからたまったものではない。しかも犬は半分白目を剥いていたように見えた。斧はすぐに偽物だとわかったが、フライドチキンを落としてしまった。ブレイクはすかさずジュンスの足元に回り込んでばくばくとフライドチキンにありついた。
「腹が減ってたんだろ」
 エコー4が笑いながら向かいの席に座る。テーブルの犬の涎は布巾で綺麗に拭いた後だった。
 彼は同じチームメイトでセッションEに属する。二人とも戦闘服は脱いで、くつろげる服に着替えていた。
 あっという間にチキンを食い尽くしたブレイクは、まだジュンスの皿に残っているもう一つのチキンを眺め回した。
「駄目だ、これは僕のフライドチキンだ」
 ブレイクは身を乗りだして皿に首を突っ込もうとした。
「こっちもさっき帰ってきたばかりでお腹が減ってるのに……」
 皿を高く上げてジュンスは守備を固めた。
「アイルランドは寒かったよな」とエコー4。彼はクリームシチューを食べている。
「滞在中は雨ばかり降ってた。今度は春に行きたいな」
「アルファとチャーリーが来てくれて仕事がだいぶ楽になった。無事に帰れて本当に良かったよ。最近は攻勢が激しさを増してる……」
 結局、肉はブレイクに取られてしまった。というかジュンスが根負けしてあげてしまった。斧で頭が割れた犬と喧嘩するのはあまり良い気分ではなかった。
「ところで戻ってきて話を聞いたんだよ」とエコー4。
「何を?」と言いながらジュンスは落胆している。トレーにはもうパンとヨーグルトしか残っていない。だと言うのにブレイクはパンも食べようと躍起になっていた。ジュンスは仕方なくパンをちぎって床に落とした。
「身の丈二五〇センチの男の怪」
「え?」ジュンスはちぎっていた動きを止める。
 エコー4が言う。「腰の曲がった身の丈二五〇センチの男を、昨晩ハロウィンの飾りつけをしていた時に見たそうだ。事務の人が言ってた」
 ブレイクはジャンプしてジュンスの指の間にあったパンをぱくりと食べてしまう。犬はそのままジュンスの膝に上体をのせて、べろべろと彼の手を舐めまわした。チキンの味が残っていたのだ。
「……その馬鹿でかくて腰の曲がった男がアダムの骨にいるって? ここの……どこに?」
「ここのどこかだよ。――すみませんね、情報通じゃなくて。八時間前まで妖精の国で踊っていたもので」
 怪訝な顔をするジュンスの前で、エコー4がそう言ってコーヒーを飲んだ。
「その腰の曲がった男は何をしていたんだろう?」
「見たやつが言うことには、オオカミの飾りを見ながらゆらゆら揺れていたとか。両手には長い鉤爪を持っていて……そのうちそいつは曲がり角に引っ込んだらしい。全身真っ黒だったってさ」
「……。」
 沈黙した途端、食堂のざわめきが耳につく。
 ジュンスは吹き出した。
「その話、ステイカーに言ったか?」
「いや。何せやつは帰ってからというもの死んだように寝てる」
 ジュンスは笑いながら、
「そうか、言わない方がいいよ。ステイカーの名誉のために、この話はここで忘れよう」
 エコー4には理由がわからなかったが「確かに。嘘くさいしな」と同意することにした。
 犬はいつの間にか二人の前から姿を消していた。
 
 🎃🦇👻
 
 すっかりお腹がいっぱいになったブレイクはかちゃかちゃと爪を鳴らして施設の通路を歩いている。軽快な足取りはもう見られない。カボチャのバケツはお菓子でいっぱいになり、口で運ぶの大変に感じていた。
 少し歩いてはバケツを置き、また少し歩いてはバケツを置くという動作を繰り返して、なんとか前進する。あんまり一生懸命に運んでいたので、その時、カボチャの形をしたキャンディがバケツから転がり落ちたことにブレイクは気がつかなかった。
 そんな健気なシェパード犬が通路を右に折れた際、アグニェシュカ・ポランスキーがたまたま通りがかり偶然床に落ちているキャンディを見つけた。屈んで拾うと頭痛がぶり返したので、うっとうめきたくなった。先程、起き抜けに飲んだアスピリンはまだ効いていないようだ。
「大丈夫ですか、シス」と、隣にいたセッションGの隊長が声をかけた。
「ええ。大したことじゃないわ」
 ポランスキーはため息をつきたい気分だったが、我慢をした。疲れていると悟られたくなかった。
「それは?」
「ハロウィンのお菓子よ。誰の落とし物かしら」
 手の中でカボチャのキャンディをもてあそぶ。
 今年も家に帰ってやれないなとポランスキーは思った。彼女にとってはハロウィンよりも明日の万聖節の方が大事だった。家族全員で集まり、その翌日には墓を訪れ死者に祈る。もう何年も子ども達とゆっくりとした時間を過ごしていない。それに墓前にも……。
「どうされました? やはり具合が……?」
 ポランスキーは立ち上がり、気遣う隊員に微笑みかけた。
「アメリカは賑やかな国よね。ここの人たちもアメリカ式のパーティを楽しんでる」
「私はいまだ馴染めません」と隊員は言った。「他の方たちは元々パーティがお好きだったのでしょう……特にBの面々は」
 ポランスキーは片手を振った。
「そういう人たちなの、放っておいて。……今晩は何もないといいんだけど」
 ポランスキーはキャンディをポケットにしまった。さすがに通路に落ちているものを誰かに渡す気にはなれなかった。後で捨てるつもりだ。
 隊員は言う。
「ステイカーなどは戦争前夜のように装備を整えて準備万端のようです」
「……静かな夜はあまり期待できそうにないわね」
「〈聖域〉をお忘れなく」
「なおのこと騒々しくなるわ」
 そこで、ふと隊員の背後に視線をやる。目をすがめた。疲れ目がそうさせたのだろうか、何か黒いものがちらっとよぎったように見えた。
 異常に背が高く、腰が曲がった人影だった。
「今、何かいたような……」
「え?」
 それから気になっていることも口にする。
「あなた、歌い声が聞こえる? 三匹の子豚の歌よ。
 Who’s afraid of the big bad wolf?(狼なんかこわくない)〉っていう有名な歌」
「いえ、何も……シスには聞こえるのですか?」
 困惑する相手をよそに、ポランスキーはそちらに向けてつかつかと近寄ろうとした。隊員が素早く彼女の腕を掴んで引き止める。
「私の後ろへ」
 ポランスキーは自分を恥じた。好奇心に任せて飛び出すなど、カウンターDの隊員達をまとめあげるボスとして未熟すぎるのではないかと思った。しかし、そんな考えは一切顔に出さずにポランスキーは頷く。Gの隊員が拳銃を抜き、彼女の腕をしっかり引き寄せ、二人は静かに通路を進んだ。
 通路は突き当たりで左右に分かれている。彼らは右側の壁に寄っていたので、左手側から確認することになるが、異常はなかった。
 しかし、耳に届く歌声がどんどん大きくなっている。ポランスキーは毛が逆立つような心地がした。
 隊員が銃口の先端を柱の終端にそわせ、慎重に物陰から照準を合わせる。が、
「……問題ありません」
 歌はぱったりと止んでいた。ラジオのスイッチを切ったように……
 ポランスキーは隊員の後に続き、不可解な顔つきで通路を見る。何の変哲もない、日常的に通りすぎる館内だ。
「気のせいだというの?」
「わかりません」と、隊員は正直に言った。「ここで仕事をしていたら何が起きても驚きませんね」
「なんでもないと思うけれど」ポランスキーは端末を取り出した。「こういう時はサンクチュアリに調べさせましょう。――もう、全然繋がらないんだから」
 隊員は拳銃をしまいつつ、「捕まえにくい友人みたいな関係なんだな」と思っていた。
 彼らの進行方向の先に一匹のジャーマン・シェパード・ドッグが歩いて行ってしまったのだが、二人は知る由もなかった。
 
 
 
 
 シェパード犬が通路を歩く。
 静かに静かにそれがついてくる。
 ブレイクは振り返る。背後には何もいない。自分の尻尾がぴんと立ち、ゆらゆら揺れている。
 腰の曲がった大きな人影が壁にはりついていたとしても、犬であるブレイクに何ができるというのか?
 
 
 
 なんだか落ち着かない気分だなぁと、ブレイクは神経質になっていた。振り返りたくてたまならい。その度に確認するのだがやはり何もない。
 早くこのお仕事を終わらせなくちゃ、と疲れた足を素早く動かす。歩き回ったせいで頭の飾りもずれてしまい、斧は背中のほうに倒れてしまった。こうなっては自分では取ることができない。
 と、ブレイクはそれを見つけて急ブレーキをした。別の日であれば「わ!」と驚いていたのだろうが、今はカボチャのバケツを口にしているのでヒンヒンと小さく鳴くぐらいしかできなかった。
 通路のど真ん中にこんもりと毛の塊が落ちている。そいつはブレイクの姿を認めるや、金色の瞳を陰険な目つきにさせ犬を睨みつけてきた。
 ――猫だ!
 ブレイクはその場でうろうろした。
 ――猫だ! どうしてここに! そこをどいてよ!
 猫は大きなあくびをして居住まいを正した。わざわざ前足をたたんで胸の下に入れたのだ。絶対にどかないぞというメッセージだった。
 ブレイクは猫に吠えた。猫はしらんぷりをしている。
 あの意地悪そうな顔! ここにいる猫たちのなかでも、あの猫はとびきり性格が悪かった。ブレイクはそれを知っている。何故この施設に猫がいるのかといえば、〈アダムの骨〉の構成員だからだ。チーム〈CAT〉という。目の前の、白地に血飛沫を正面から浴びて黒ずんでしまったような柄の猫はCAT5と呼ばれていた。ちなみにブレイクの場合は〈GSD1〉だった。チーム〈CAT〉の任務はネズミ捕りの他に、ガラスコップの破壊、袋の中の潜伏訓練、デスク使用者の忍耐試験(誘惑の克服)だった。
 要するにただの怠け者だった。
 ブレイクは鼻を鳴らす。
 ――相手は猫族なのだから仕方ありませんが、私には理解できませんね。あんなに怠けていちゃ、チーム〈CAT〉もそのうちぶくぶくになるだろうし、いつかチーム〈()AT〉になってもおかしくありません。
 犬にもプライドがあるのだった。しかしブレイクは知らなかった。たとえ猫が太り倒して満足に任務を遂行できなくなったとしても、人間たちはBig fat cat(大きく太った猫)を一層可愛がってしまうということを……
 それはともかく。
 今は一匹の猫がブレイクの通行の妨げになっていることが大きな問題となっていた。
 ブレイクは一歩近寄った。
 猫が眼差しを鋭くする。
 右から回り込もうとした。猫の首がぐるっとそっちを向いた。ブレイクは足を止める。
 今度は反対側から回り込もうとした。猫は次第に低いうなり声をあげる。その尻尾がばったばったと暴れている。ブレイクは動けなくなった。猫に吠えられるのが嫌だった。あの「シャッ!」がブレイクはどうも苦手だった。それに、目にも止まらぬ勢いで鋭い爪が顔を狙うのだ。猫のパンチは案外強力だ。体格に大きな差があるとはいえ、爪がブレイクのやわらかい眼球に当たればひとたまりもない。
 まだら柄の猫は耳を不機嫌に反らし、瞳孔を見開いて毛を逆立て始めた。うなり声もますますひどくなる。
「あーうおうあうあうにゃむょぅみょう……」
 ――なんだって?
 ブレイクは混乱した。何を言っているのかさっぱりわからない。
 すると、絶対にその場を動かないと思われていたCAT5が、緊張で乾く口をべろりと舐め、例の「あうおうみゃうぉぅ……」という獰猛な唸りとともにゆっくりと身を起こす。ただ起き上がったばかりではない。真っ黒になった瞳孔が空中を睨み、頭を低くして背中は山のように盛り上がっている。臨戦態勢だった。猫はじりじりと後退していく。
 ――一体どうしたんですか? 悪魔が取りついたかのような恐ろしい声ではないですか!
 ブレイクは何度か吠えてCAT5を正気に戻そうとした。当然だが、ふてぶてしいCAT5はブレイクに対してビビりながら後ずさりをするなど今まで一度もしたことがない。
 ――CAT5!
 刹那、
 ギャ! と猫は大きく叫んだ。CAT5は物凄まじい勢いで空中を三度引き裂くと、風のような速さで逃げて行った。
 ブレイクはぽかんとして走り去る猫を見送ることしかできなかった。
 何が起こったか理解できなかった。CAT5は明らかに何かと交戦していたが、ブレイクには何も見えなかった。
 理解できないことばかり起こるが、確かなことは一つある。これでブレイクは安全に通れるようになった。
 ブレイクはカボチャのバケツの取っ手をくわえて足早に移動した。
 
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「……ん?」八条寺公哉がオフィスに戻ろうとしたら、扉の前でジャーマン・シェパード・ドッグがお座りしていることに気が付いた。
 口にはお菓子がいっぱいに入ったカボチャのバケツを携えている。
 ハチはどうしたものかと思ったが、とりあえず部屋をにいる同僚を呼ぶことにした。
「ミナー! 犬がいる」
 ミナ・リュードベリはデスクから少しチェアを離し、背中を軋ませた。「あら~ブレイクじゃないの。どうしたの?」
 手には食べかけのチーズケーキ皿が乗っている。
 ――ミナ! 会いに来ましたよ! トリック・オア・トリート!
 ブレイクはひんひんと鳴いて尻尾を振った。ブレイクはミナが大好きだった。近寄るとミナの柔らかい手が頭を撫で撫でしてくれた。
「おーよしよしよし、その頭のおもちゃはどうしたのかな~? 人間にいたずらされちゃったの?」
 犬は腹を見せて床に転がった。ミナはパンプスを脱ぎ、足で犬を撫でた。チーズケーキを食べながら相手をするにはそうするしかなかった。
「これ見て。犬にしては大量のお菓子だ」とハチはバケツを掲げる。
 バケツは別の人間がひょいと取り上げる。いつの間にかレイ・ダウリングがハチの隣にいてかぼちゃの中をしげしげと覗いていた。さきほどまで部屋の奥のソファで横になっていたのだが、目を覚ましたらしい。
「必ずしもお菓子だけじゃないみたいだぞ」
 犬をわっしゃわっしゃと両手で撫でまわすミナをよそにして、レイは中身を確認した。
「キャンディ、マシュマロ、チョコレート……それに9ミリ弾」一つずつ机に並べる。
「いや最後の」
「偽物だ」指で曲げられるスポンジ玩具だった。レイは実際に指で潰して実演してみせた。「誰が入れたんだろうな?」
 ――どうです? すごいでしょう! 私が集めたんです!
 ブレイクは起き上がり尻尾をぶんぶん振ってハチに飛びかかった。飛びかかるといっても前足でハチにつかまり立ちしているだけなのだが、大型犬がやるとかなり迫力があった。
「飼い主は何をしてるんだろう?」
 ハチは腕で犬を支えて困ったように言った。犬は長い舌でべろんと口を舐めている。
「さあな。今頃夢の中で楽しく花冠でも作ってるんだろう」
 レイはキャンディの包みを開けて口に放り込んだ。
「ブレイク!」とミナが体を叩いて呼ぶと、犬は大喜びでそちらに走っていった。ミナはキャスター付きの椅子に座ったままころころと移動して犬と追いかけっこをしている。
 ステイカーの飼っている犬がジャーマン・シェパード・ドッグでよかったとハチは思った。もしブレイクがチワワやテリアやトイ・プードルの犬種だったらどうか。特殊部隊よろしくで全身フル装備になった外見マッチョが油断なく小銃を携え、反対の手ではリードに繋がれたチワワが小刻みに震えている。それでは滑稽すぎる。見ている方は笑えるが……
 レイは言った。ちょっとニヤニヤしている。
「マジな話、あの犬がウェルシュ・コーギーだったら良かったのにって思う時がある」
「俺はチワワ」とハチ。
 同じようなことを考えてたらしいことに驚く。いいやつだが軍人のレイとは話が合わないと思っていた。しかもハチはオタクなので隊員たちとよくかかわるわりには肩身が狭かった。おそらくレイもオタクとは話が合わないと思っているはずだ。そして今、やはりお互いに意外に思っていることがわかった。目が合ったからだ。
 何故だか奇妙な連帯感が生まれていた。
「なんであんたたちニヤついてるの?」とミナは二人を見て馬鹿にしたように言った。
 ハチは咳払いをした。話を変えた。
「ところで、レイはここに何か用があったのか?」
 レイは伸びてきた髭を指で掻いている。普段は綺麗に剃っているので珍しかった。移動ばかりで手入れをする時間もなかったのだろう、刈り込んでいた頭も髪が少し生えそろっている。
「俺の隣の部屋のやつのいびきが地獄のようにうるさくて眠れなかったんだ。まあその前に、俺の個人システムの調整をしてほしくてやって来たんだが」
 MARのインターフェースを変えたかったらしい。「余計な仕事はないから安心しろ。ミナがやってくれたよ」
 ふうんとハチ。後で俺もレイのシステムを見ておこうと思った。
「EAPなんだけどさ」ハチはふと思い出して、何とはなしにいう。「ステイカーがこの前俺のところにやってきて、EAPについて聞いてきたんだよ。すごい真面目な顔で、『ちょっと聞きたいんだが……』って」
「なんて?」
「『どうして”シャーロック・ホームズ”じゃないんだ?』って」
 アメリカ人のレイはぐふっと吹き出した。(補足するとEAPという索敵システムはエドガー・アラン・ポーというアメリカ合衆国の作家の名前を借りており、そのAIには”エドガー”と呼びかけてプログラムを作動させている。)
「そりゃ敵を見つける名探偵は英国のホームズだしそっちの方が適切かもしれないけどさぁ……そんなに重要かな?」
「俺はどうでもいいと思うよ。イージー・アップル・パイ・マンとかマシュマロ・マンとかよりマシだ」レイは笑いながら肩をすくめた。
「あいつそのうち、お前を見るたびに『やあハチ、アメリカ英語が上達したな。そろそろ英国式英語を習得する気はないか?』って言ってくるぞ。気をつけろ」
「そうよ、ハチ。英語警察に捕まるわ」とミナもデスクの向こう側から同意した。「きっとずーーーーーーっと言われ続けるわよ、『おっと今のはアメリカ英語だな』とかなんとか……」
 そこまで来るとハラスメントに抵触するから、ステイカーに限ってさすがにそんなことはしないだろうとハチは思いながら、「ステイカーも複雑なんだなぁ」と深く考えずにそう言った。
 ――どこに行ってもみなさん、私のご主人の噂話をしていますね。
 ブレイクは大きな耳でみんなの話を聞いていた。
 ――とても誇らしい気分です!
 高揚した気分を抑えきれず、わんと一吠えした。
 楽しい時間を過ごしたが、そろそろ主人の元へ戻らねばなるまい。ブレイクは遊んでくれたミナの手を舐めて、さよならをした。椅子に上ってデスクにあったカボチャのバケツを口にした。
 ――私のご主人のことですから、きっと私のお菓子を待っているに違いありませんからね!
「あ、ブレイク!」
 オフィスから出ていくシェパードをミナは呼び止めたが、ブレイクには急いで主人の元へ帰るという重大な使命があったため、立ち止まることはなかった。
 ミナの手には偽物の斧カチューシャが握られている。「忘れ物――って、あれ?」
「どうしたんだ?」とレイ。
「もういなくなってるな、って……」
 三人はオフィスから顔を出す。「犬って足が速いんだね」とハチ。
 ブレイクが扉から飛び出してものの数秒だったが、左右のどちらを見渡してもブレイクは手品のように消えていた。
 
 🎃🦇👻
 
 ――うーん……。
 シェパード犬は通路をとことこと歩いている。
 ――うーん……。
 鼻をくんくんと動かして、床のにおいをかぎ、家犬特有のジグザグ歩行で移動している。
 ――うーん、おかしいですね。
 ブレイクは立ち止まって頭をあげる。大きな耳がぴんと立った。
 ――道に迷ってしまいました! 自分のにおいがわかりません!
 その場をぐるりと一周回り、通路を行っては戻ってを繰り返し、あたりをうろうろし始めた。一体どうしてなのか? においの痕跡が全くしないのだ。これでは主人の部屋まで戻れない。せめてミナたちのいる部屋に引き返そうと思い、犬は実際そうしたのだが、行けども行けどもたどり着かない。ついには迷ってしまった。
 ――ミナー! 誰かいませんか!
 ブレイクにはもう一つ気づいたことがある。においどころか、人間の気配すらしないのだ。〈アダムの骨〉は静寂に包まれていた。
 無臭と無音の世界。
 ブレイクは本能的に怖くなってきた。耳が顔に張りついて尻尾は垂れ下がる。そんな無機質で冷たい場所は行ったことがないし、経験をしたこともなかった。お菓子の甘い香りだけが漂っている。
 ――ご主人!
 大きく吠えた。返事はなかった。その代わりに自分の声が通路で異様に反響していた。わん、という音が何度も木霊し、遠のき小さくなったと思ったら、音はどこかで折り返したのか、ボリュームを上げて耳元に戻ってきた。ひんひんとブレイクは鳴いた。何かがおかしい。すごく怖かった。
 突然、軽快な音楽が流れた。古いラジオの周波数を合わせた時のように、雑音が混じっている。
 昨日聞いた曲だった。〈Who’s afraid of the big bad wolf?(狼なんかこわくない)〉だ。耳にすれば誰でも踊りだしたくなる、そんなアップテンポの四拍子の歌がビッグバンドのBGMに支えられている。
 ――誰かいるんですか!
 泣きたい気分になりながら周囲を窺う。ブレイクの目は怯えていた。何が何だかわからない。
 ブレイクが振り返ると、通路の奥にそれはいた。
 とてつもなく背の高く、だが腰の曲がった人影が中央に立っていた。髪は長くよれよれで床に届かんばかりだ。前につきだした手の爪は猫のものよりもずっと長い。靴のつま先が
Who’s afraid of the big bad wolf?(狼なんかこわくない)〉に合わせてリズムを刻んでいた。全身真っ黒なのに両目はサーチライトのようにピカピカしている。
 それはしわがれた男の声で歌われていた。大きくて凶悪な狼など誰が怖がるのかと。
 ブレイクは動物だけれども、敵と味方の見分けがつく犬だった。ブレイクはカボチャのバケツをくわえて後退りをした。心臓がドキドキして全身の毛穴が広がるのを感じた。呼吸が早くなってくる。
 その時になって、食堂で聞いた話や、猫がひどく怯えていたことを突然思い出した。こいつだったのかとブレイクは理解をした。
 腰の曲がった男はあまりに体が折れていたため、床をほとんど這うようにして近寄ってきた。男の一歩は大きかった。ブレイクは恐れていたため思うように動くことができず、それはすぐに目の前までやってきた。腕をゆっくりと伸ばし、長い爪で二度バケツを指さす。怪物は言った。
「お菓子を寄越せ」
 ブレイクは我に返る。お菓子だって?
「お菓子を寄越せ」と、もう一度その怪物は言う。「早くしろ!」獣の唸り声がしたと思ったら、腰の曲がった男はいやに優しく言い直した。「ブレイク、それを俺にくれるかな?」
 なんと主人の声で話し始めたのだ。「ブレイク、俺の言うことが聞けないのか?」
 これは聞き捨てならない。誇り高い主人の声を騙るなどあってはならない。
 ブレイクは勇気を振りしぼって、顔に張り付く耳をピンと立たせ、尻尾に力を込めた。
 ――駄目だ! お前なんて知らないね。
 このお菓子は本物の主人のものなのだ!
 腰の曲がった男はそれを聞くや、巨大な体を震わせて口をカッと開いた。鋭利な牙が二重に生えそろっている。ブレイクの頭など一口で噛み砕けそうだった。
「お前は悪い狼(バッド・ウルフ)だ!」
 ブレイクは大急ぎでその場を駆け出した。
「お前は悪い狼(バッド・ウルフ)だ!」
 ――逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
 犬は通路を死に物狂いで走った。つるつる滑る床で全速力を出すのは足に負担がかかって仕方なかったし、時々転びそうになった。ああ、いつからこの施設は代わり映えのない場所になってしまったのか。どこを走っても、間延びした通路が永遠に続く。
 背後ではどしんどしんと音を立てて怪物が追いかけている。角を曲がる時にそいつが見えた。未知の獣だった。なんとおぞましい姿かとブレイクは激しい恐怖心を抱いた。
悪い狼だ!
どこへ逃げる?
大きな狼!
 三種の声が叫んでいる。
 ――怖いよ! 誰か助けて!
 恐怖で頭がいっぱいになっていると、不思議なことが起きた。何かの甘い香りがブレイクの鼻を撫でた。どこかで嗅いだ匂いだが、はっきりしない。砂糖の匂いではなかった――月の下で咲く花の香りだと思った。
 ブレイクは持ち前の嗅覚を駆使して、かすかな匂いの道をたどり、必死に走り続けた。これでもかと速度を上げる。今のブレイクは風というよりも毛玉の弾丸だった。
 視界が開ける。
 ブレイクはついに施設の外へ飛び出していった。
「お前など恐れないぞ!」
 怪物は地面をどしんどしんと大きく踏み鳴らして背後に迫る。黒い影が犬の背中に覆いかぶさっていた。もう駄目だと犬は心臓が張り裂けそうになった――その時だ。目にも止まらぬ三連撃が閃き、突風がブレイクの頭上を通り過ぎた。
 ぎゃっと悲鳴が三つ分聞こえた。
 ブレイクははためく白いスカートの下を全速力でくぐり抜け、急停止する。呼吸を荒らげて背後を見ると、腰の曲がった大きな怪物は、なんと三つに分裂して地面にごろごろと転がっていた。
 ブレイクの前に人が立ちはだかっている。相手を見上げる。いや、違う。これほど体温を感じない者は決して人間ではない。
 鍔の大きな白い帽子をかぶって、白いワンピースドレスを着た彼女は、蹴り上げた足をゆっくり降ろした。
「誰を恐れないって?」
 吸血鬼サンクチュアリが関心の薄い口調で言った。どうでもいいが、彼女は片手で何かの赤いドリンクをストローで飲んでいる。それにサングラスをかけているので遊びに出かけている人にしか見えない。だが、何か寒気を覚えさせるものがあった。
 地面に転がった身長八〇センチ程度の三人は素早く起き上がる。
 ブレイクはびっくりした。顔はお爺さんのようにしわくちゃなのに、体は子供のように小さい。鼻と耳はやたら尖っていた。
「ここが誰の縄張りだか知っているの」吸血鬼は警告する。
 小人は叫んだ。
()()()()だ!」
「血ねぶりは嫌い!」
「食べられる!」
 しわがれた声で口々にそう言い残し、三人の小人は三方向に散り散りになって、パッと消えてしまった。
 綺麗さっぱりどこにもいない。青空の下で、爽やかな風が通りすぎている。
 サンクは携帯電話を取り出して誰かに連絡をする。彼女は「終わった」と一言告げ、すぐに通話を切った。
 吸血鬼がサングラスを下げてブレイクに視線をやる。犬は小刻みに呼吸を繰り返し、両目を恐怖で見開いてひんひんと鳴いた。
 ――()()()()だ! 殺される!
「お馬鹿さんね」とサンク。彼女からは花の香りがした。
 そんな一人と一匹の背後から人間が歩いてやってくる。資材を運んで大義そうな様子だ。ウィリアム・ハントだった。背の高い人間だったのでブレイクは反射的に怯えたが、ハントの匂いを嗅いで安堵する。良かった、知っている人だ――犬はそう思った。
 ハントは小脇に挟んでいた板切れを持ち直し、不可解な表情を浮かべた。いつもかけているサングラスのせいで、彼の目はどこを見ているかわからなかったが。
「あのよ、その犬なんだが、さっき突然姿を現したように見えたんだが……手品みたいに、パッと」
 サンクは素知らぬ顔で真っ赤なジュースを飲んだ。
「で、あんたは子どもを三人蹴散らしてたよな」
「あんなしわくちゃ顔の子どもがいるの?」
「いねえな」とハントは言った。「問題解決か?」
「そうね」
 ハントはふんと鼻を鳴らした。そりゃよかった、といった感じだ。
「こっちも終わったぞ。大工仕事はしばらくやらないからな。くたくただ」
 サンクはハントを見やり、浅くかぶりを振る。
「ああ、そんなことを言わないで。だって仕方ないでしょう? 昨日の落雷のせいで柵が裂けてしまうなんて……。その裂け目から私の馬が飛び出して、しかも世話人を蹴飛ばして怪我をさせてしまったのよ。頼めるのはあなたしかいないわ」
 ハントはイノシシみたいに息を吐き出した。
「自分でやれよ! あんたの馬だろ」
 その折、一頭の美しい黒馬が走ってきた。太陽の下で黒い毛並みが光り輝いている。フリージアン・ホースだった。馬はサンクのところにやってくるや、大きな顔を彼女に擦り寄せた。
「ハンマーの使い方なら教えてやる」
 サンクが馬を撫でていると、ハントから道具を渡された。仕方なしにそれを受け取る。だがすぐにハンマーを持つ腕をぶらりと下ろした。細い吐息をつき、彼女は微笑む。「困ったわね。重くて持てない」
 ハントは「絶妙にムカつくやつだな」と唸りサンクの手からハンマーを奪い返した。
 黒馬はブレイクの近くで跳ねて犬をからかい、それから機嫌の悪いハントの側まで行って服を甘噛みした。
「やめろって」
 サンクはくすっとする。
「この子が気に入るなんて珍しい。誰が動物好きかわかるのね」
 ハントは馬に引っ張られながら、納得がいかない顔をしている。「確かに、馬は好きだけどな……」
「ところで、最近あなたたちの中でエリンに行った人はいる?」とサンク。
「エリン? アイルランドのことか?」
「そう」
「ステイカーだ。俺とレイは別行動だった」
 サンクはまた「そう」と言った。視線を流して犬を見る。
「……で、その人間は?」
 地面で休んでいたブレイクは耳をぴんと立てた。
 ――ご主人ならお部屋でお休みしていますよ!
「よくわかったわ」
「俺はわからねぇけど深く考えねぇことにした」とハント。「犬と喋ってるのかよ?」
 まあいい、とハントは馬の背中を叩いて帰宅を促す。
「俺はもう休んだが、サンクも帰って寝るんだな。あんたも働いてばっかりだろ? 今は昼間だぞ。どうせ夜も超過労働になるんだ。なんていったって、今夜はハロウィンだ。どでかい山をぶち当てるかもしれねぇ」
「眠れないのよ」とサンクは言う。その青い目は獣じみていたが、サングラスの奥に隠されている。
 こいつでも気が猛る時があるんだなとハントは思った。どのみちこの吸血鬼に初心者のような失敗はあり得ないので、大した心配など無用なのだが。
 ハントは馬を連れて立ち去ろうとする。
「ウィリアム――」その背中にサンクが声をかけた。「ありがとう」
 ハントは「おう」とだけ返して馬小屋に戻っていった。
 その場に残った吸血鬼は犬に目をやる。ブレイクは首を傾げた。
 
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 ステイカーはぱちっと目を開けた。腕を持ち上げて時計を確認する。すっかり夕刻になっていることを知った彼はベッドから身を起こした。丸々九時間は眠っていたらしい。頭に鈍痛がする。
 窓辺に誰かがいる。
 寝ぼけた目を何度かしばたたかせてステイカーは相手を見上げる。サンクチュアリだった。夕日をさけて影の中に佇んでいるので表情はよくわからないが、彼女は棚の上の置物を見ているようだった。
「意外なものを飾っているのね」と、サンクは彼を振り向きもせずに言い、きらきらと輝くガラス製品を指でつまんだ。
 ステイカーは寝起きの顔を手のひらで拭う。まだ体には疲労が残っていた。
「……そいつはブレイクの玩具になったよ」
 彼女はサンキャッチャーを静かに棚に戻した。ステイカーはベッドの端に座ってそれを見ながら、
「……”どうぞお入んなさい”と過去に一度でも言ったことが?」
「いいえ」
 サンクは彼の足元を見やる。
 そこでは犬が横倒しになってすやすやと眠っている。
 ステイカーはため息をついた。やれやれ、うちの犬が「おいでよ」とでも言ったのか?――そんな心地で、ふくらんだりしぼんだりするブレイクの横腹を撫でまわす。
「目を覚ましたら、たくさん褒めてあげることね」
「どうして?」
「あなたの犬はお菓子を集めまわっていた。それはここの人間のほとんどが知っている」
「うちの犬が、か?」ステイカーは聞き返した。そこで彼は気づく。ソファの上にカボチャのバケツが置いてあったのだ。サンクの言う通りお菓子であふれている。
「一体、誰がブレイクを”お仕事頑張るワン”にさせたんだ……」
 ステイカーはぽんぽんと犬の腹を叩く。ブレイクの意識は夢の世界に飛び立っており、ちっとも目を覚ます気配がない。犬は眠りながら、べろんと口周りを舐めていた。
 サンクは何か言いたげにしている。
「なんだ?」
 視線を外し、少し考える様子を見せてから彼女は言った。
「さっき、犬が妖精族に追われているのを見た」
 ステイカーは自分の頭痛が重くなったような気がした。
 サンクは続ける。
「プーカよ。お手伝い妖精の……ええと、プーカの中でもなんていうひとたちだったかしら。まあどうでもいいことよね。私は妖精族とは敵対しているし、重要なのはそれではないの」
 誰かこの話を止めてくれとステイカーは思った。
 当然ながら吸血鬼を阻止することは誰もできない。
「昨晩、プーカがこの部屋にやってきて部屋の持ち主の代わりにあちこちを手入れしたようなの。それでプーカたちはその場にいた犬に報酬を要求したのだけど、結局最後に抵抗をされた。プーカたちは、たちまち怒って犬を追いかけまわした……というわけなの」
 サンクは淡々と話を整理した。「なのにその間、あなたはずっと眠っていた」
「俺のせいなのか?」と心外だとばかりにステイカーは言った。辺りを見回す。そういえば、記憶の中にある三週間前の状態よりも清潔になっているような気がした。確かテーブルの上にカップを出しっぱなしにしていたはずだが片付けられている。いよいよ気になってきたのでステイカーは自分の部屋を確認して回った。確かに、何者かが侵入した形跡があった。隅々と整理整頓されている上に、なんならナイフまで研がれている。安全な基地に帰還したとはいえ、もっと早く気付くべきだった。
 奇妙なことに、部屋の隅に壊れたロボット掃除機があった。
「きっと喧嘩をしたのよ」
「まったく理解できん……」とステイカー。
「アグニェシュカもプーカを見たと言っていたわ。それで私に連絡をして問題を解決をするようにと言ってきた」
 そこまでくれば状況を呑み込むしかなかった。「なんでそんなことに?」
「最近、エリンに行ったそうね」
 エリンとはアイルランドの古い呼び名だ。確かに、ステイカーは何日か前に仕事でそこに駆けつけた。
「何かあったんでしょう?」
「……丘の上の廃墟になっていた邸宅にDPが立てこもってるって話だったから、全員で訪問することになったんだ」
「それで?」
 ステイカーは口に手を当てる。
「そういえば、邸宅の庭に塚があったな。石を積み上げたやつだ。DPに攻撃されたとき、そばに立っていたんだが、俺の代わりにその塚が破壊されていた。――ちょっと待て」
 彼は戦闘服のあちこちを探り、ポケットから小石を取り出した。「持って帰っちまった!」
 手の中の小石はつやつやとしており、黒っぽくも不思議な色をしていた。
「やっぱりあなたのせいね」とサンク。
「わざとじゃない」
 ステイカーは小石を握って弁解した。だいたい訪れたやつは他にもいるのに何故真っ先に俺が疑われるんだと思っていた。実際、かかわりがあったようなのだが……。
 彼が続けて言うことには、
「つまりこういうことか? かつて邸宅で働ていたお手伝いさんたちは廃墟になるとともに忘れ去られていた。ところがある日、妖精の住まう塚は壊れてしまう。だが、当の妖精たちは俺と一緒にアメリカに渡った……と」
「その通り」とサンクは肯定した。
 ステイカーは窓から小石を投げ捨てた。黒っぽい石はびゅんと飛んで敷地のどこかに落ちてしまった。
「これで持ち主はいなくなったから悪さはしないだろう」と彼は手をはたいた。
「どうかしらね」
 その時、端末からアラートが鳴った。緊急招集の通知だ。
 吸血鬼は微笑む。青い目がぞっとするような輝きを見せていた。
「サウィン・フェシュが始まるわ」
 サウィン祭――キリスト教化してからはハロウィンと呼ばれているものだ。死者のための祭りで、異界との境界がなくなる日。魔物たちの血と暴力を予感させる日……そんな日に嬉しそうにするのはサンクチュアリぐらいなものだ。
 改めて相手が人間ではないことを思い出しながら、ステイカーはカボチャのバケツから食料を手掴みし、「サンクも早く来い」と言って急ぎ部屋から出て行った。
 シェパード犬はぐっすりと眠っている。チキンの海の夢を見るブレイクの寝顔は誰が見ても幸せそうだった。
 
 後日のこと。何者かの手によって庭の手入れが行き届いたり荒らされたりするので、ステイカーは犯人捜しをしたが見つけることができなかった。そのため彼は仕方なく、勝手に庭がきれいになった日は三つ分のお菓子を花壇に置くようにしたら、以降荒らされることはなくなった。そういうわけで、ステイカーの庭にはいつもお菓子が置いてあるのだが、その理由を知るものはほとんどいないという話である。
 
 HAPPY HALLOWEEN🎃
 
 


【2020/10/26 掲載】
ステイカーは戻ってからご褒美のチキンをたくさん与えました。

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