前作「ゲット・アウト」の監督ジョーダン・ピール による新作映画「アス」を観に行きました。こういうマイナーな映画はなかなか地元にやってこないで、ストリーミングサービス時期まで待つしかないだろうと思っていたのですけど、珍しく放映されたのでわーいと
ゲット・アウトはホラー映画好きな人なら大注目した映画だと思います。考察しがいのある脚本、ユニークな演出、最後のどんでん返しもさることながら人種差別にまで切り込む話は観た人の心にガリッと傷を残していくはず。とにかくスリルがあって面白い映画でした。あとBGMも印象的。
というわけで、今回も同監督による作品ということで期待して観に行きました
どうだったかというと、面白かった。
面白かったんです。
が、ちょっと理解が難しい……。
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あらすじ
主人公アデレードは家族とともにカリフォルニア州サンタクルーズで夏の休暇を過ごすことになる。友人一家とボードウォーク(海と遊園地が合体した施設)ビーチで遊ぶも数々の気味の悪い偶然がアデレードの脳裏に幼少期のトラウマをフラッシュバックさせる。アデレードは夫に訴える「今すぐ帰りたい」と。その夜、 異変が起こる。敷地の暗がりに 、アデレード一家と同じ顔をした四人の人間たちが立っていたのだ。
さわりの感想
ネタバレなし。
幽霊や悪魔が出るホラー映画というよりは、ホラーだけどスリラーよりのちょっとSF、みたいな感じでした。そこは「ゲット・アウト」を見た人はわかると思うんですけど、世にも奇妙な的な世界です。
上映時間は二時間という長さですが、各パートの盛り上がりと緊張感がきちんとしていたのでダレはなかったと思います。飽きずに見られて満足です。ドキドキでした。旦那がいつ死ぬのかと思って(旦那は昔のスリラー映画によくいる「陽気な黒人」枠だったので不安感が増します)(狙ってキャラ付けしたと思われる)
登場人物全員が一人二役を演じている本作ですが、偽物役の狂気感を堪能して欲しいです。
話の最後にはストーリーをどんでん返ししつつ、さらに畳み掛ける切り返しがあったので「ええ~」と思いながら若干ショックを受けて出てきました。面白かった。でも、後味が悪いかな? 良い意味で不穏な終わり方でした。
ネタバレ込み感想とか考察とか
ネタバレあり感想。
「えええ~~~お前がかよ!!」
などとスタッフロールを見ながら心の中で叫びました。でもこういうの予想するのが得意な人は途中でわかったかもしれない。予兆はあった。私の場合だと、のめり込んで見たのですっかり騙されました。
一番重要なのはアデレードのトラウマ。
1986年のサンタクルーズ・ビーチ・ボードウォークで幼少期のアデレードは奇妙な体験をする。少女は親の目から離れ、嵐の前触れをバックに、鏡の迷宮(遊園地によくあるやつ)に迷い込む。そこで彼女は自身と同じ顔をした少女と出会ってしまう。
「喋れないあの子を取り戻したい」という母親。
「私と同じ顔をした人がいる。殺しに来る」 的なことを旦那に訴えるアデレード。
「青空の下で育ったやつにはわからない」「私は特別だということがみんなにばれた」というレッド(アデレードにそっくりな女)
真実は1986年の出来事にありました。要するに、入れ替わりが起こっていたわけです。
話の設定では、「アメリカには合算すると何千キロもの地下通路があってそれが何に使われているのか誰もわからないのだ」という冒頭の説明から(おぼろげなんですが)、実はサンタクルーズ・ビーチの真下に地下施設があって、そこで人間複製(クローン)の実験が行われていたという「ナ、ナンダッテー!」なSFなストーリーだったのです。
「そう、時々噂に聞くドッペルゲンガーは、こいつらが地下施設からふらっと現れたせいなんだ! ドッペルゲンガーを見たら死ぬっていうのは、つまりこの映画のようなカラクリだったんだよ!!!」(なんだっt)
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真実とは
1986年の時にアデレード本人は偽アデレードに首を絞められ失神し、本物が地下施設に囚われてしまい、挙げ句複製人間として現代まで生きていた。偽アデレードは新しい環境の下、新しい家族に囲まれ(とはいえ家族も生き写しなんですが)、人格を作り上げ、アデレードとして生きていくことに。それから30年近く経ち、偽アデレードとともにいる一家は、複製人間を率いる本物のアデレードに襲われるのです。
というかサンタクルーズの住人全員、米国中の人間が、赤いつなぎを着用し剪定ばさみを持った複製人間に襲撃され、殺されてしまいます。
アデレードになりすました偽アデレードが事態に気付いた時のセリフ「サンタクルーズから逃げる。海岸線を行ってメキシコまで逃げる」的なやつ
「そこまで逃げる必要が……?」と思ったけど、そりゃ内情知ってたらメキシコどころか地球の裏側まで逃げたくなるはずだ。アメリカの地下中に憎悪のクローン人間がうじゃうじゃいるんだから。
しかも偽アデレードにとっては自分のオリジナルをベッドに鎖で拘束したまま人生を乗っ取ってしまったわけです。やばい、気付かれたら絶対こっちにくる!
どこぞのお偉方たちが作った複製人間の実験体だったけど、肉体複製はできても魂の複製は不可能ということがわかり、施設ごと放棄され、何十年もアメリカの地下でうごめいていた。
(その間うさぎさん食ってたらしいけど……うさぎさんはどうやって飼育してたん……? 地下で? 時々抜け出して草取ってきたのか……?)
複製人間たち
複製人間の名前は「テザード(tethered)」というらしい。tetheredとはtetherの過去分詞形、(鎖などで)繋ぎ止められた、という意味。tetherは元々、牛や馬を鎖で繋ぎ止めるという意味なので、めっちゃ家畜っぽい扱いです。
しかし繋ぎ止めるって、一体何と何を?
複製元と繋ぎ止められたという意味なのか、地下に繋ぎ止められたという意味なのか。テザード達は自分たちの両手を繋ぎ合ってサンタクルーズの土地(どころかアメリカ)を横断しており、ある種の連帯感を示すための「tethered」のように感じました。
特徴的なのは、真っ赤なつなぎ服に剪定鋏、そして喋れないこと。何故喋れないのだろう。実験放棄した理由と関係があるのだろうか。複製人間になるしかなかった本物アデレードの言う「魂をわけあった」的なセリフが気になりますが、一回見ただけではちょっとわかりづらく……。つまりオリジナルの思考の一部をトレースしているのか? 偽アデレード曰く「考え方が同じ」と言っていたのもこのせいか? しかし、地下施設に連れてこられた本物アデレードは、元から思考が独立しているので、自立しているお前はおかしい、と周囲に気付かれた……ということなんだろう。他のやつらは喋れないし。
テザードを指揮していたらしいアデレード(本人)は、1986年の冒頭で子供の時に見たコマーシャル「ハンズ・アクロス・アメリカ」から、手を繋ぎ合うことについて着想を得たっぽいです。
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暗闇から追いかけてくるもう一人の私
この映画が示唆しているのは一体なんなのだろう。
憎悪に染まった自分が自分のもとへやってきて、自分自身を血の海の中へと引きずり込んでいく。アメリカで手をつないで横断(というか分断?)していたものは憎しみの連帯感だったんだろうか。自己がないだけ、憎悪でしか繋がれなかったのかも。クローンたちは、ああいうやり方でしか、自分たちを救済する方法がなかった。
それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。
エレミヤ書 11章 11節
プラカードの人は街にたまにいる終末論を説く変わった信者みたいなポジションだった。じーさんになっても同じプラ掲げてるのが感動すら覚える
11:11という時間の符牒は作中登場したエレミヤ書と関係があるのか、ただ単に鏡合わせを印象づけるためか。
普段自分たちが見ないことにしていたこと、例えば格差とか、地下に暮らすホームレスとか。こちら側の我々が普通の生活をしているのはたまたま運がよかっただけにすぎない。何かの拍子で――、たとえば偶然遊園地の迷宮に迷い込んで、家畜のような生活をしていた複製人間と出会い、すり替わられてしまったアデレードのように――ほんのささいな偶然の重ね合わせで、いつでも同じ立場になる可能性がある。他人事ではない。他者を助けることが自分を助けることになるのに。それに気付かず、あるいは無視していた、小さな悲鳴。無関心の罪。いつかどこかで帳尻を合わせなければならないのだろうか。報いはある。
過去という見えない暗闇から、自分自身が追いかけてくる。
かつての自分が、死の寝床に立って、精算を迫ってくるのだ。
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まあ考えたら地下に自分の悪魔のドッペルゲンガー/クローン人間がいて、夜な夜な自分の動きを真似をしている。しかも大真面目に下手くそな挙動で。あまつさえ自分を憎んでる。と思うと、めっちゃ気持ち悪いですね。
映画「Us/アス」、良作でした。謎解きは複雑だったけど二回見ると面白いかもです。
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余談1:しかし、なんでテザードの持参武器は剪定ハサミなんでしょう? ここだけわからなかった……。家庭のどこにでもあるから? お手てをつなぐ切り絵を作る道具と、かけあわせてるだけ? 冒頭のサンタクルーズの場面でアデレードがふらふら歩いていたとき、エレミヤ書のプラカードかかげていたにーちゃんの隣で、「チョキしか出してないじゃん(うろ覚え)」って言ってたじゃんけんカップルがいたような気がしたけど、それとは関係ないのだろうか…
余談2:ちなみに、兎は旧約聖書の中では「あなたがたには汚れたものなので食べてはならぬ」と言っております。
野うさぎ、これは、反・するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
レビ記 11章 6節
第11章最初の方で、主はモーセ達を通してイスラエル人に「この動物は食べたら駄目だよ」という話をしている。不浄なものは身体に入れるな、という厳しい戒律。豚も食うなとか言われている。豚の蹄は分かれているけど反芻しないので(草食動物じゃないので)汚れているから駄目とか。
ウサギさんを生でボリボリと貪り喰うテザードは地上の人間たちとは対照的です。