Sematary

Stephen・KingのPet Semateryを見ながら動物模写。

この映画に出てくる猫ちゃんの種類はブリティッシュ・ショートヘアーっぽく見える。足の肉付きなどがっしりとしていて毛並みも美しい。それに表情豊か。耳の動きなど見ていると面白い。最後、くたりと地面につぶれるところが可愛かった……(一番下の絵)ふてくされたような顔をするのがとてもいい。ずるいよぉって男の子がばったり倒れるシーンと似ている。ちなみに真ん中の凶悪犯みたいな表情の絵は、私が若干化け猫っぽくアレンジした……生肉を咀嚼してる時の顔なんですけど、自分でもなんでこうなったと思う……。

今調べたら、Pet Semataryって2019年にリメイク放映されるらしい。えー、そうなんだ。トレーラー動画をちらっと見たけど、ホラー要素が強くなってるように見えた。

最近の私ときたら、おだやかなものを愛するようになってしまったせいか、はるか昔に書いていたような激烈さというものがどうも思い出せずにいて、現在ものすごく苦しく感じます……。どうやってあの激しさをひねり出していたのだろうなぁと、一生懸命、自分の中から発掘している最中です。あの黒さがないと書けないみたいなんですよ、今書こうとしているものが。この年になって知見が広がったというか、自分が今何に苦しめられているかが言葉にできるほどわかってしまったので、まあ借り物の言葉だけどそれが「何か」がわからないよりは全然マシではあるけど、でも昔の正体不明の苦しさに対する怒りとか悲しみとかの渦の中にいた方が自由に書けたような気がしないでもない。よーわからんけど動力になった。なっていた。あの時は、ドラゴンボールの悟空みたいに、うぉーって闘気がほとばしって、ばばばーぶわーってなってた気がする。進撃の巨人の鬼リヴァイみたいなのが理想だったのに。今の私、平和を愛し、自然を愛し、鳥を愛し、猫を愛す、博愛主義者になってる……。まあまあ優しくなろうよ、みんな。みたいな。

これではいかん。

いや、平穏はすごくいいことなんだけど、書くものがある身としてはこれではいかん。何も思い浮かばない。これじゃ戦闘シーンが書けん。

と思って今朝ノートを開いて自分の中の黒さと向き合おうと必死にいろいろ考えたんです。でも、わかりました。あれですね。頭で考えてもダメ。もう全然ダメでした。もっとこう、うおおおおって来るものがないと。無の境地になってノートにがさがさ絵を描いてあとでハッとするようなやつがないとダメっすわ。私、いっつもそんな感じですもん。まず絵があって、それから文章に組み立ててる。最初から漫画にしろよって感じだけど、それはヤなんですよね。絵、下手だし。文章のほうが面白い。それとわざわざ創作ノートとか立派なやつを買って使うのもダメですね。落書き帳でないと私はダメです。何を描いたかわからんような、丸のぐるぐる描きだったり、手の練習だったり謎の生首だったりを描いた隣のページに突然設定画を残すようなノリじゃないと想像力がうまくいかないみたい。なんでもオッケーな落書き帳がちょうどいいっぽい。小学生が描くようなやつね。そんでだらだらと時間が許す限り骸骨とか怒り顔とかぐわっと牙を向いている顔とかを描いてると、あーこれかーこれだなーってなってちょっと感覚を思い出す。まじで自由帳が大事。若干、当初の目的とすり替わった気がしないでもないけど、黒い闘志を思い出す作業としては有効だった。これなら悪魔的デザインも考えられるかも……?(まだ無理か)

常々思っているけど、クリーチャーデザインをしている人って普段どんなものに目を向けているんだろう? 自分の中の恐怖心がわからないとああいうの作れないじゃないですか。遊星からの物体X(原題:The thing)とか、どういう神経してたらあんなもん作れるんだよって思うんですよ。クリエイターの脳みそどうなってんねん。いまだにThe thingを超えるくそキモいクリーチャーを見たことがない。誰か教えてほしい。今の所アナイアレイションが若干気になる。あとで見てみようかな。 (どうでもいいけどエイリアンやプレデターなどは自分の中では”カッコいい”の方に分類されている)

日本のだと、ブラッドボーンのクリーチャーデザインが好きですね。血に渇いた獣とかよかった。フロムのデザイナーが誰なのか名前を知りたいんだけど、調べてもよくわからない……。正気に戻る前のルドウィークとか気持ち悪くて好きです。あと旧市街のうぉうぉどよめいてる古い教会の縛り付けられた獣とか最高でした。血に渇いた獣だったと思うけど。しかもあの教会の獣に関してバックグラウンドが全然語られないのがまたいい。

嫌悪感のわくデザインって難しいんだなとここ一年ぐらいずっと悩んでおります

というわけでシリーズの短編を書くのにまだまだ時間がかかりそう。世界観を作るための試し書きのつもりで書けばいいやと思ってるのになんかめっちゃ手間がかかります。ちなみに吸血鬼ものです。

なんで今まで書けなかったって、一番の問題は、私がHからはじまる某吸血鬼漫画の影響を強く受けすぎていて、もういい加減そういうのやめたいってずっと思ってるんですけど、なかなかうまくいかなくて自分にがっかりしていたからです。やっぱりあの漫画はすごかった。みんな真似してた。でも、私はもう好きじゃないんですよね。もう好きじゃないのに影響を受け続けるっていうのがなんか本当に辛いです。どうして嫌になったのかな。個人的にいろいろあったけど、ファンの間でintegrityが皆無だったってこととか、ある日本の本屋がその漫画をナチのシンボルにつみあげていて、それでみんなで手を叩いて喜んでいたこととか(Twitterでね)、それを見て、はっきりと「もうやめよう」と思いました。あれはよくない。やってはいけない。ああいうことをやるのはね、人類の敵だと思う。みんなで今まで、それこそ血を流してまで丁寧に積み上げてきたものを、いとも簡単に壊して喜ぶ下劣な人々。それに今の白人たちのことを日本人たちはなにもわかってない、とあの頃は思った。2019年にもなればもうみんな知ってると思うけど、念のため言っておくと、ナチのシンボルを使う白い人たちはね、私達日本人のことも別に死ねるだけ死んでもらっても構わないって思ってるんだよ。あの人達にアジア人の見分けなんてついてるわけないじゃないですか。だからもうやめようと思いました。なんとなく白い人たちの世界に寄りかかって、そのせいで死ぬようなことになりたくない。あまりに愚かしいですし。(あの頃トランプ政権は日本をミサイルの肉壁にしようとしていたし。)ああいうのを見ていると作品の中にもintegrity0のひとたちを喜ばせる何かコードや因子があるのではないかと思ってしまって切り捨てないとと思ってしまうんです。まあ最後の大隊をかっこよく描きすぎたせいだと思うけど。

だけどね、本当にあの作品には影響を受けたから自覚して喪失しようと思うと、自分を殺すみたいで、難しいんですよね。だから辛いんです。

とりとめもなくてすまない。論理とは無縁なまま、また余計なことを書いてしまった。黙っているのがよっぽど苦しかったんだろうな。まあいろいろあって正直に言えば今でも燻っているんですけど、私は私の作りたいものを作らねばならないのです。一人でいるには慣れているさ。というか今までずっと一人だったしな。

ああ、そうか、わかった。私がこの世界の片隅にのすずがムカつくと思ってしまうのは(自分でもなんでこんなムカつくんやろと思ってたんだけど)、なんとなく忘れてなんとなく周りの価値観に寄りかかってなんとなく幸せな気分になれる浅慮な人間(すずとよく似た人間)と出会ってしまったから余計に苛立つんだろう。そして大部分の人間(in japan)がすずみたいな人たちなんだってことを思い出させてくれるからなんだろう。苦しいなあ。

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